M/Aya
 保雄は体をじたばたさせたが、縄が食い込むばかりで戒めは少しも緩まない。全裸で芋虫のように暴れる自らの姿はあまりにもみじめだった。

 「上手いでしょう。私を縛る男に教わったのよ。今じゃ、そいつが私に縛られて喜んでるけどね」
 「・・・・・・!」

 保雄は絶句した。目の前の少女は何者なのか。

 「ちょ、ちょっと待てよ、いったい何なんだよっ!!」
 「取引よ」
 「な、なんのだ?」
 「今後、一切、結那には近づかないこと。もちろん電話もメールもラインも駄目」
 「ふ、ふざけるなよっ!お前、こんなことしてただで済むと思ってるのか?」
 「状況がよく分かってないようね」

 麻弥はため息をつくと、バッグからナイフを取り出した。柄の部分にクロス(十字架)をあしらったゴシック調のものだ。慣れた手つきでパチンと刃を開く。刃渡りは15cm余りのものだ。
 
 「お、おい・・・何をする気だ?」
 「何をする気って?」
 麻弥は不思議そうに問い返した。

 「あなた、結那に何をしたの?あなたにとって彼女はなんの脅威でもないでしょ?例え抵抗したとしても、あなたは片手で結那を制することが出来るでしょ?その結那に対してあなたは暴力を振るい続けたわね」
 「・・・・・・」
 「この状況、同じじゃないかしら。絶対に抵抗されない相手に対して、暴力を用いる」
 「お、俺は凶器なんか使ってないぞ」
 「女にとって男の拳は凶器だと思わない?現に結那は肋骨にヒビが入ってたし」
 「・・・・・・」

 保雄は黙り込んだ。何を言ってもぐうの音も出ない理屈でやり込められる。

 (こ、この女は何者だ?)

 麻弥は保雄がこれまで相手にしてきた女とは違った。というより、保雄の相手をしてくれた女とは違うというべきか。
  
 「女は理屈が回らなくて、感情的な生き物だ」

 一般論として男の中でよく語られている話をそのまま信じている。よしんばそうだったとしても、それは比較論、もしくは比率の問題であろう。

 それは女が、「男は浮気をする生き物だ」と嘆くのと遠くない。

 だが目の前の少女からは、感情と言うものが読み取れず、その声にも抑揚がない。まるで教え諭すように話しかけてくるのだ。

 「あなたは結那が思い通りにならなければ、暴力を振るったわ。だから私もあなたが思い通りにならなければ・・・」

 麻弥がナイフをかざした。刀身が鈍く光る。
  保雄は裸である。皮膚を外気に晒した状態で間近に見る刃物の恐怖はものすごいものがあった。
 ましてや体中に縄が巻きつき、後ろ手に縛られまったく身動きが出来ない。
 保雄は生命の危機を感じた。

 「わ、分かった!結那に近づかない!勘弁してくれっ!」

 必死の懇願である。

 「信用出来ないわ。あなたは平気で嘘をつくから」
 「じゃ、じゃあどうすりゃいいんだよ」
 「結那のカラダには痣がいっぱい残ってたわ。あれと同じように証拠が欲しいの」

 麻弥はスマホをバッグから取り出すと、保雄に向かって構えた。

 「や、止めろっ!」

 保雄は怒鳴ったが、むなしくシャッター音が鳴り響く。
 麻弥は保雄にスマホの画面を見せた。そこには全裸で縛られて転がされている保雄のみじめな姿があった。

 「・・・・・・」

 どういう反応を示せばいいのだろう。そろそろ保雄の精神は限界に近い。

 「ツイッターとか、ラインとか、すぐにアップ出来るわ。便利な世の中よね」
 「止めてください・・・」

 保雄は消え入りそうに言った。万一、写真を晒されたら、それはネット中に広まり消えることがない。デジタルタトゥーと呼ばれる烙印だ。 

 「そういえばあなた、結那とSEXしてるときに動画を撮ったそうね。撮ってみる?」

 麻弥はカメラをムービーモードにして撮影し始めた。

 「もう本当に勘弁して下さい・・・。結那には絶対に近づきませんから・・・」
 「信用できないわ」

 保雄はついにシクシクと泣き出した。

 「じゃぁ、どうすればいいんですか?どうしたら信じてもらえるんですか?」
 「あなた、生い立ちに問題があって、つい暴力を振るってしまうんですってね」

 保雄が更に同情を請うような調子で、

 「それは本当です。親父は酒を飲むと暴力を振う奴で・・・。お袋は俺が中学のときに出て行きました。そのとき以来、女が信じられない・・・」

 麻弥の瞳に少し表情が出た。

 「父親ではなく、母親を憎んだの?」
 「お袋は他に男を作って逃げたんです。親父の暴力から俺を守ってくれるのはお袋しかいなかったのに、俺を見捨てたんだ」

 「そう・・・」

 麻弥は悲しげに頷いた。そして保雄の頭を撫でた。

 「親父は・・・お袋が逃げてから酒を止めたんだ。そして今日まで俺を育ててくれた」
 「それは複雑ね」
 「かといって親父を許す気にも慣れない。俺はどうしたらいいのか分からないんだ」
「あなたの卑怯だわ」
 「え?」
 「結那は夏休みにあなたに殴られて顔をひどく腫らしたと言っていたわ。でも最近は顔は殴らない」
 「・・・・・・」
 「手加減してるわけじゃないわね。だって肋骨にヒビが入るほど殴ってるんだもの。あなたは周囲にばれないように計算して結那に暴力を振るっているということになる。つまりあなたはキレてないんだわ」
 「そ・・・それは」
 「そんな男の言うことは信用できないと思うのも当然でしょう?」
 「うわああああっ!」

 削がれた耳がぽとりと落ちた。みるみるシーツが血に染まっていく。
 
 「うるさいわね。」

 麻弥はゴミでも見るような目で保雄に一瞥くれると、そのまま部屋を後にした。



「橘さん」
 「彼から連絡が来なくなったの」
 「知ってるわ。約束したでしょう?」
 「う、うん」

 「それからもうその話題はよして。というより私に話しかけない方がいいわ」

 クラスの生徒が麻弥と結那が話しているのを見て、ひそひそとささやいている。

 「分かったわ。学校が終わったら・・・」

 麻弥は様々な意味で、自分とは関わらない方が良いと言いたかったのだが、結那には伝わらなかった。事実、その後も結那は子犬のように麻弥になついてしまう。そのせいで、とんでもない目に合うのだがこれは後の話だ。

 後始末をした木藤(こふじ)の話では、保雄の耳はなんとかくっついたらしい。

 「良い病院に連れて行ったからな」

 初めからの手はずで、麻弥が立ち去った直後、入れ替わりに木藤が保雄の部屋を訪れ、血だらけで放置されていた保雄の戒めを解いた。その後、因果を含めて病院に連れて行った。
 木藤が言うには、そこは訳ありの患者専門の医者と言うことで、理由に立ち入らず治療をしてくれるという。そういったわけで、ならずものたちが門を叩くらしい。

 「まぁ、もぐりさ。指とか鼻とかくっつけるのが得意なんだ」

 木藤は今年三十になる。長身でハンサムだが癖のある笑い方をする。目に凄みがあり、髪型はオールバック。洒落たスーツに身を包んだ姿はカタギには見えない。事実、ややこしい仕事をしている。
 木藤の事務所は六本木の雑居ビルの一室にあった。麻弥は頼んであった「後始末」の顛末を聞くために、次の日の放課後に訪れたというわけだ。
 麻弥の上品なブレザーの制服は、殺風景な部屋にはまるで似つかわしくなかった。

 「これ」

 麻弥は木藤にメモの切れ端を渡した。木藤は受け取って目を落とすと、怪訝な顔をした。

 「お前の住所じゃないか」
 「あのクズに渡しておいて」
 「どういうつもりだ?」
 「仕返しに来たければいつでもどうぞ。って意味なのだけれど」
 「おいおいおい、勘弁してくれよ」

 木藤は頭を掻いた。 

 「危ねえじゃねぇか。奴が本気で復讐する気になったらどうするんだ?」
 「だからそのときのために教えてあげようと思ったのよ。私は彼が約束を破ったら本気であいつを殺す気だから。彼も私の居所を知ってなきゃ、フェアじゃないでしょ?」

 「どういう理屈だよ、まったく」
 「いいから私の言うとおりにして」 

 木藤は小さくため息をついてから、メモをスーツの胸ポケットに入れると、

 「分かったよ」

 と言った。

 「じゃ、帰るわね」
 「なんだ、来たばかりじゃないか」

 麻弥は木藤が淹れたアイスコーヒーには一口もつけていない。

 「ここに長居する理由はないから」
 「ま、そうなんだが」

 木藤は肩をすくめた。そしてドアを開けようとする麻弥に声をかけた。

 「今週の土曜は空けとけよ」

 麻弥はほんの一瞬、足を止めたが返事もせずに出て行った。木藤は麻弥のために淹れたコーヒーを飲み干すと、

 「俺も仕事に出かけるか」

 と独り言を言って、事務所を後にした。
< 9 / 9 >

ひとこと感想を投票しよう!

あなたはこの作品を・・・

と評価しました。
すべての感想数:0

この作品の感想を3つまで選択できます。

この作家の他の作品

公開作品はありません

この作品を見ている人にオススメ

読み込み中…

この作品をシェア

pagetop