波の音だけ聞こえない
 翌日の塾のテストは最悪だった。
結果を待つまでもなく、ボロボロだってわかってる。
自信があるのは三分の一。
あとの三分の一は解けなくて、もう三分の一は適当だ。
やばいよ。マジやばい。
成績が落ちたらバイトはやめるっていうのがママとの最初の約束。
クラス平均よりずっと少ないお小遣いを補充するために始めたアルバイトだけど、今では生活の一部になってる。
部活をやっていない代わりにバイトが部活みたいなもんだ。
やっとお店の人たちとも馴染んで、常連さんにも顔を覚えてもらって、ようやく忙しさにも慣れて、実は密かに、私も戦力になれてるよねって思えるようになってきたところで、どんどんバイトが楽しくなってきてるのに、やめたくなんかないよー。
今の私には生活の一部。
勉強と同じくらい大切なものなんだ。
ね、ちゃんとわかってる。
勉強だって大切だって。
だから、もっと勉強を頑張ればいいっていうのもわかってはいるんだけどさー。

私はぱらりぱらりと降り始めた雨の中をとぼとぼ歩いた。
時折、気まぐれにひときわ強く傘を打つ雨粒がある。
先生が「ここは大事です」なんて言いながら、黒板をチョークでコンって叩く音と、それは似ているなぁなんて思う。

終わったことは仕方がない。
辞めないといけないと決まったわけじゃない。
まだ挽回のチャンスはあるかもしれない。
っていうか、今、考えてもどうにもならないことはひとまず考えない。

そう思えるようになるまで、歩いた。
たまに煮詰まるとこうして歩く。
動かずに一つのことばかり考えていると、頭に、心に、それがよっこらしょっと腰を落ち着けちゃう感じ。一度張り付くと、協力粘着シートで張り付けたみたいに剥がれなくなる。
だから、体を動かす。
一か所に考えをとどまらせないようにするために。
結果、今日は地下鉄四駅ぶん歩くことになった。
バイト先につくまでに雨はすっかり本降りになっていた。

 洋食店の入り口には日よけにも雨除けにもなる伸縮式のルーフがある。
だけど、その下に入って快適に開店を待てるのはせいぜい十人程度だ。
あとの人たちは傘を広げて待っている。
雨の中、開店を待っていてもらえるなんてありがたいことだなぁと、経営者でもないけれど自然とそう思う。
 さぁ、テストのことは忘れて、仕事に集中!
こういう時、忙しいってホント助かる。
他のことを考えずに、目の前のことにだけ集中していられてホント嬉しい。

 だけど、やっぱり雨のせいか、今日も客足は早くに途絶えた。
九時を過ぎ、店内に客は一組のカップルだけ。
それももうデザートに洋ナシのソルベを食べている。
新規の客は来るだろうか。

石部さんがいつもより早くにホールのバイトに声をかけた。
「今日は賄いいくついる?」
今日もホールはオールキャストだ。
5人顔を見合わせ、みんなが手を挙げるのを見て、私も手を挙げた。
「五つお願いします」
真緒ちゃんが言う。
 一緒に食べる人がいるっていいよね。
だけど、カウンター席に一列に並ぶから、どこに座るかって実は重要。
賄いって全員が同じメニューのこともあるけれど、お店で提供しているものがそのまま出てくることもある。
さすがに確かめたことはないけれど、賞味期限の関係ってやつ?!
いろんなお皿が並んでいるから、手が空いた人から食べたいものが置かれた席で食べ始める。
 シェフさんの隣になったら困ってしまう。
仕事にも慣れたし、シェフさんたちはいい人ばかりなんだけど、隣の席で何を話したらいいのかわからない。
無言のまま食べるのも嫌だし、かといって話題も見つからない。
一人っ子で女子高の私はただでさえ男性に免疫がないって自覚してる。
塾の男の子たちとも殆どしゃべったことはない。
同世代でも無理なのに、うんと年上の社会人の男の人たちと共通の話題を見つけるってハードル高過ぎっ。
だから私はいつも理奈ちゃんか真緒ちゃんにくっついて隣の席を狙う。
料理がなにかより、隣が誰かの方がずっと重要なんだもん。




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