薫子さんと主任の恋愛事情
でも今の流れで、気まずかった部屋の空気が少しだけ緩む。
「薫子も飲むか?」
八木沢主任が私の手から瓶ビールを取り上げると、私の手は自然と目の前にあるコップを手にした。
「八木沢主任。その“薫子”って呼ぶの、どうにかなりませんか?」
コップに注がれるビールを見ながら、八木沢主任に何気なく問いてみる。
あまりに自然な流れでそう呼ぶから、実はもう少し慣れてきてはいるけれど。薫子なんて呼ぶのは両親か麻衣さんくらいで、なんとなく気恥ずかしい。
「どうにもならないな。何なら薫子も、俺のことを大登って呼んでみたらどうだ」
なんて、そんな高難度な提案をサラッと言えてしまう八木沢主任に驚く。
彼氏でもないのに……。
告白されたってキスしたって、私たちはまだ会社の上司と部下で。そんな関係の人を名前で呼ぶなんてこと、私には出来ない。
「本当に、もうからかうのはやめてください。私のことが好きなんて、嘘ですよね?」
答えなんて、わかっている。八木沢主任が私のことを好きなんて、どう考えたっておかしいんだから。
でも八木沢主任から返ってきた言葉は、私が少しも想像していなかったもので。
「嘘じゃない、薫子のことが好きだ。でも俺ももう二十八だからな。もう少し時間を掛けてゆっくり口説き落とそうと思ってたけど、待ちきれなくなった」
驚きを通り越し、呼吸することさえ忘れてしまう。
「って言うのは建前で。薫子が誰かのものになる前に、俺が手に入れたかったって言うのが本音。なあ、俺のものにならないか?」