トライアングル
引き戸を開けるカラカラという音で、たった一人で広い美術室に居た少年が振り返る。
「今日も武藤君だけ?」
「はい」
武藤誠司は、活動をしている部員の内の一人だ。
誠司は油絵を描いている。
風景画のような、抽象画のような、不思議な絵だった。
俯瞰で見た構図の森の中に、落としたのか捨てられたのか、消えかけの火の入ったランプが倒れている。
火が燃え広がりそうで、怖いと思った。
小さな花を照らす灯りも頼りなく、くすんだ色をしている。
構図の手前には、明るければ鮮やかな色なのであろう鳥の羽が見える。
その鳥を意識すると、中央の地面と樹上との距離を不意に感じて、また怖くなった。
「先生」
「あ、はい」
「ここに手を入れたいんです」
誠司が指した場所は、葉が多く、蔦が絡まる樹だった。
「ここ?唐突過ぎないかしら…人のにおいみたいなのがするのはランプだけっていう絵だから、そこは大事にしないと」
言って、蛍子は自分が何の知識もなく講釈を垂れてしまった事を恥じた。
「あ、ごめんなさい、」
「いえ」
誠司は寡黙な生徒だ。
「でも、どうして手?」
「手って言っても、それっぽい形のものを入れたいんです。樹とか葉っぱとかと変わらない色で、よく見たら手なのかもしれないって思うような」
微妙に質問の答えではない事に、蛍子は気付かない。
「この絵をよく見てくれた人にだけ分かるような感じ?」
「そうですね…大袈裟でなくても、そんな感じに出来たら」
話す間も、誠司は手を休めない。
黒を帯びた深い緑色が沢山乗ったパレットの上を筆が通り過ぎて、キャンバスに滑ってゆく。
「先生」
「…、はい」
その動作を見ていて、反応が遅れた。
ぼうっとしていた事に気付いて、蛍子はまた自分を恥じた。