愛なんてない






……清水のような爽やかなこの香りは。


わたしが呆然としているうちに、お兄ちゃんが帰ってきた。


咲子さんは甘えた声でお兄ちゃんを呼び、熱烈なキスを見せる。


それを見たわたしの脳裏に、今朝のあの光景が蘇る。


京……!


「ごちそうさまでした」


わたしは食器を流しに置くと、そのまま洗面所に駆け込んで吐いた。


胃が空っぽになって胃酸が出尽くしても、吐き気が収まらない。


――クルシイ。


――クルシイ。


――クルシイ。

「うえっ……えっ……ううっ……」


咲子さんの甘い声を聴きながら、わたしは声を押し殺して泣いた。




どうして?




どうして?




どうして?




京………。













わたしはひとしきり泣いた後、お兄ちゃんと咲子さんの甘い声を背に、ひとつの決意を固めた。





スポーツバックに思いつくだけの荷物を詰め、財布にもあるだけのお金を詰め込んだ。


今しか……ない。今しか。





いつの間にか空からあの日のように冷たい雨が降り出していて、わたしは傘もささずにひたすら歩いた。


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