可愛げのないあたしと、キスフレンドなあいつ。
生まれたときからバリアフリー設計になっている家に住んでいたあたしにとって、渚の家の脱衣所と浴室は驚くくらいの段差があって、古めかしい床のタイルもマンションの浴室と違ってひんやりと足裏に冷たい。
湯船の形もすごくユニークで、正方形に近い四角で足を曲げないと浸かれない。こんな狭いお風呂は、正直はじめてみた。
この浴室は側面のタイルもひび割れのある天井もかなり年季が入っていた。でもきれいに手入れされているためか、嫌な感じはしない。むしろ味があるとか趣きがあるとか、そんなことを思う。
浴室の備え付けの棚にはポンプボトルがずらりと並んでいて、そのいくつかには名前が書いてあった。
ちょっとお高めなノンシリコンシャンプーと、高級化粧品メーカーの洗顔料には『使ったら殺す』ってたぶん愛さんの字が書き込まれてて。
スカルプシャンプーには『ハゲ専用』って文字が二重線で打ち消しされてて、その上に『父ちゃんの!』って訂正してある。
匂いを防ぐデオドランド系のボディソープには『筋肉馬鹿専用』、ニキビケア用の洗顔フォームには『使用厳禁!これは哉人様の!』。
どれも太いマジックで書き込まれてる。
渚の名前も1個だけ見つけた。メンズ用の洗顔料で、愛想のない文字でただ『ナギサ』って書かれてる。
渚の家は、お風呂の中までにぎやかな家族の気配が感じられてなんかあったかい。それが胸にじわじわ沁みてきて、なぜかわからないけど狭くてあったかい湯船の中であたしはまたぼろぼろ泣いていた。
ここにあるのはあたりまえの家族の景色なんかじゃなくて、あたしがずっと欲しくて欲しくてたまらなかったものだ。そしてたぶん、永遠にあたしの手が届かないもの。
もしかしたら渚は、こういうあたたかさまであたしに分け与えようとしててくれていたのかもしれない。