可愛げのないあたしと、キスフレンドなあいつ。




渚のお父さんとお母さんは子供の頃からの顔なじみで、お父さんの数年にもわたる猛アタックの末、ふたりは大学生の頃に付き合いはじめたという。

当時、お父さんは在学中に予備試験合格を目指す法学部生、お母さんは課題や実習のカリキュラムがかなりハードな医学部生というお互いに多忙な身で、デートの約束をしてもなかなか時間通りに会えることが出来なかった。

それでお互いの学校の丁度中間地点にある、こじんまりとした古い映画館で待ち合わせするようになった。

その映画館というのが、入場料の千円払えばその日一日は出入りが自由というスタイルの映画館で、開館から閉館までひたすら古典や名画を流し続けていた。

運よく落ち合えたときは映画の途中で中座してデートに出掛け、相手が来られなくなったときはひとりで映画をたのしんで帰り、ときには映画館に入り浸ってふたりで映画を見たり、仮眠を取るためにふたりシートに並んで居眠りをしたり。

大学生だった渚のお父さんとお母さんの大切な恋の思い出の中心には、いつもその映画館があった。

だからそこで見た映画の中から特に印象的だった名画のタイトルから、子供に付ける名前を拝借したのだという。





「渚もさ、『渚』って名前、いいよね」
「そうか?フツー女に付けるだろ。男にこの名前はねぇだろうって思うけどな」

たしかに入学してはじめて、自己紹介でその名前を聞いたときは、男子の名前にしては『渚』ってめずらしいと思った。

「そう?きれいな名前じゃん、“波打ち際”って意味なんでしょ。一文字だけど海辺の情景が思い浮かんでくるっていうか、雰囲気あるじゃん?」

白い浜辺で静かに静かに満ち引きを繰り返す波の、その心地よいリズム。ささくれだった心をやさしく抱き留めて癒してくれるその海の光景は、渚のイメージにぴったりと重なる。


「あたしは好きだよ、渚の名前。……あたしはさ、単純に『仁(ひとし)』と『花織(かおり)』って両親の漢字をひと文字ずつ取って組み合わせただけの名前だし。しかもさ、夫婦が別れた後はジョークか皮肉みたいじゃん?……全然好きじゃなかった」

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