姫恋華〜ひめれんげ〜【改稿版】
 言葉を失うゆらの傍に膝をついた宗明がおしずに問うた。

「志乃の方(かた)さまはどちらにおられる?」

 するとおしずは娘たちと顔を見合わせたかと思うと申し訳なさそうに目を伏せた。

「お母上さまはここにおいでではありませんわ。この座敷牢に入れられたのは、そちらのおさえさんが最後でしたの。ゆらさま、お母上さまが?」

 言葉なく頷いたゆらの手をおしずが取った。

「志乃さまはゆらさまの母君ですもの。きっとご無事でいらっしゃいますわ。ね」

「急ごう」

 宗明が短く声をかけたところで、部屋の空気がすっと冷たくなった。

 ただでさえ乏しい蝋燭の灯が、さらにか細く弱弱しくなった。

「ひっ」

 娘の一人が声を上げた。
見れば、娘たちは怯えたように身を寄せ合い一つに固まっていた。

「来たわ」

「クモさまよ」

 クモさま?

 宗明が太刀を握る手に力を込めたとき、牢の中から何かがすごい勢いで出てきた。

 ゆらを背にかばい刀を向けると、ソレはその上を飛び越えていった。ソレはひとつではなかった。

 数え切れないくらいの黒い物体。

 ソレは宙を飛び、娘たちの前に次々と降り立った。積み重なるようにしてカサカサと数を増していくクモを目の前にして、娘たちがばたばたと気を失っていった。

「なんだ、これは……」

 あまりの光景に宗明が掠れた声を出すと、「これが、わたしたちをここに攫ってきたのです」とおしずが震える声で言った。

「まさか……」

 宗明が動揺している。


 いつも冷静な彼が、これ以上はないというくらいのありえない光景を目の前にして狼狽(うろた)えていた。

 冷たい汗が背を伝った。

「んぎゃっ」

 その時間抜けな声が上がった。

 見れば、ゆらの周りを真っ黒いクモたちが取り囲んでいる。

「ゆらさま!」

 狼狽えている場合ではなかった

 刀を構え腰を浮かした彼の目の前で、ゆらが脱兎の勢いで逃げ出したのはその時だった。

 クモたちもそれに誘われるようにカサカサと移動を始めた。

 娘たちの周りから次第にクモの数が減っていき、代わりにゆらを追うクモの数が増えていった。

「おしずさん、逃げられるか?」

「はい。わたしの武家の娘です。皆を無事に連れて行きます」

「頼む」

 太刀を手に駆け出した宗明。

 彼の足もとには、まだわらわらとクモが動いていたが構っている暇はなかった。

 それらを蹴散らすようにして宗明は座敷牢から飛び出した。


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