姫恋華〜ひめれんげ〜【改稿版】
「使えねえ奴だ」

「お、お前。裏切るつもりか?」

「あんた、そいつやるなら、早くやれよ」

 男は面倒くさそうに新之助に言った。

 佐伯にではなく新之助に。

「やりたいのはやまやまだが、俺も話が終わらねば、やれん」

「お前たち、人の事を何だと思って」

「まあ、いいさ。俺はそろそろ行くぞ。ここにいても埒が明かん」

「な、な、お前がクモさまに従えばいくらでも儲かると言うから、仲間になったというのに」

「仲間~?ま、あんたのおかげでうまい酒は飲めたな」

 じゃあなと手を振って去ろうとする男を、佐伯は何とかして引き留めようとしている。

 新之助としてもこの怪しい男の事が気になるが、それより今は佐伯だ。

「佐伯殿。こちらの話がまだ終わっていない」

「う、うるさい。何なのだ、お前たちは。わしは何も悪くないぞ!」

「佐伯殿。少し落ち着いて」

「うるさい!わしは何も悪くない。悪くないぞ」

 佐伯はばっと立ち上がり、次の間へと続く襖を開け放った。

 そこには重厚な扉を持つ内蔵があった。

「わしは悪くない。わしは悪くない」

 ぶつぶつ言いながら錠前を外している。

「どうしたんだ。あの人」

「あれがあの男の本性さ」

 すぐ横で聞こえた声に振り向けば、去って行ったはずの黒づくめの男がそこにいた。

「!」

「ちょっと忘れ物してね。あいつからまともな話を聞こうとしても無理だぜ。あいつはただの傀儡(かいらい)だからな」

「傀儡?」

「そう。クモさまのための、な」

 瞬間拳が飛んできた。

 すんでの所で避けた新之助が後ろへ飛ぶと、すぐさま次の拳が繰り出される。

 それを難なくかわしながら、「クモさまとはいったいなんだ?」と冷静に尋ねた。

「思った通り。あんた、やるな。どうだ。仲間にならんか」

「俺は、酒は飲めない」

「はは。だったら無理だなあっと」

 男がくるっと後方へ宙返りした。と思うと、内蔵の入り口に立っていた。

「おい」

「佐伯は返してやる。ただ、まともな話が出来るかどうかは定かじゃないがね」

「……」

 男が内蔵の中に姿を消した。

 するとすぐに、佐伯が内蔵から飛び出してきた。

 投げられた玉のようにぽーんと勢いよく。

 畳の上で一度跳ね、そのまま伸びてしまった。

「大丈夫か?」

「わ、わしは……」

 切れ切れの息の中で声を漏らした。唇が切れたのか血が流れている。

「ここでの仕事は終わりだな。じゃあな。あんたとはまたどこかで会うかもしれねえな」

「待てよ。これ、どうすんだよ」

「だから、あとはあんたの好きにしろって言ってんだ。クモさまはもうその男には関係ない」

 新之助は唇をかんだ。

 おそらくクモさまの事を追及しようとすれば、ことはさらに厄介になるだろう。

 今は佐伯の罪を暴くことが先決だ。

「よし。じゃあ、行くか」

 男がそう言いながら内蔵から出てきた。

 すると、その後ろにもう一つの影。

「クモさまの正体見たら、生きて帰れないぜ」

 さも楽しそうに言って、黒づくめの男が新之助の肩をポンと叩いた。

「え?」

「もう、いいや。ここは終了。おしまい。んじゃあな!」

 ぱっと男の姿が消えた。

 それと同時に男の後ろにいた影がはっきりとした形をとった。

「冗談だろ」

 さすがの新之助もかすれた声を漏らした。

 そこには天井までも届く巨体を持った毒々しい蜘蛛がいた。


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