姫恋華〜ひめれんげ〜【改稿版】
「少々、おいたが過ぎますねえ」

 そこに聞こえたのは、この場にそぐわない呑気な声。

 だが僅かに怒気が混じっているように感じた。

「斎斗(さいと)。祓ってさしあげなさい」

「こんな小物に手間取るなんて先が思いやられる」

 脇を風が通り過ぎた。

 と思うと、新之助の前には狩衣姿の男が立っていた。

 新之助は非常に不愉快なお小言をいただいた気分になったが、今はそんなことにはかまっていられなかった。

 なぜ風だと思ったのか。

 それは、その狩衣の男の纏う空気が、あまりに清廉で神々しかったからだ。

(人を神々しいだなんて、どうかしている)

 自嘲する新之助の目の前で、その男は優雅な仕草で印を結んだ。

 静かに静かに紡がれる、神を言祝ぐ祝詞。

 それは徐々に、蜘蛛の巨体を見えない紐でがんじがらめにしていくようだった。

 最後に狩衣の男が「風(ふう)」と短く呟いた。

 刹那、蜘蛛は八つ裂きになった。

 塵じりになって舞い散る蜘蛛であった禍(まが)つモノ。

 雨に打たれて消えて行く。

 消えずに残った少しのかけらは小さな蜘蛛に変化したが、それを今度は紙の鳥が啄(つい)ばみ燃え上がると消滅した。

 やがて人ならぬものはすべて消え失せた。

 細切(こまぎ)れになった糸から、ゆらが放り出された。

 それを優しく受け止める宗明。

 しかし愛しいものを取り返したというのに、その表情は険しい。

 己の力不足を自省中のようだ。

 太刀を鞘に納めながらほっと息をついた新之助は、大事なことを思い出した。

「そうだ。佐伯」

 庭を見れば、腰砕けとなった佐伯の傍らに一人の男が佇んでいた。

「影どの」

 駆け寄り声を掛ければ、“影”は軽く頭を下げた。

「このまま近藤さまの元へお連れする。追って沙汰を待たれるがよい」

「……心得た」

 影に引っ立てられる佐伯の姿を、新之助は物足りない思いで見送った。

 奴の口からは何も聞いていない。

 近藤がすべてを暴いてくれるだろうが、結局自分は仇を討つことが出来なかった。

「化けの皮を剥がしただけ良かったと思いな」

 ぽんと肩を叩かれ見れば、久賀が頭一つ分高い位置から白い歯を見せていた。

「……まあ、そうかな」

「おう。そうだぜ」

 まさか、久賀に慰められるとは。

 そのことにも軽く落ち込みながら、新之助は踵を返した。

 未だ意識を取り戻す気配のない少女の元へ戻るために。

< 122 / 132 >

この作品をシェア

pagetop