姫恋華〜ひめれんげ〜【改稿版】
「意識が戻らないぞ」

 宗明の焦った声が辺りに響く。

 ぐったりと宗明に身を預けるゆらの周りを鈴が心配そうにうろうろしている。

「旦さん、どうしよう」

 いつもの覇気がない。

 そんな愛猫の頭をひと撫ですると、嵯峨はふわりと膝をついた。

「ふむ。これは……」

「旦さん、どうなん?」

 その場の視線がすべて嵯峨に集中している。

「少し妖気にあてられたようですね」

 淡々と言うと嵯峨はゆらの額に手を当てた。

「祓の祝詞を」


   高天原に神留まり坐す……


 嵯峨の深く静かな声がゆらへと送られる。

 皆が固唾を飲んで見守る中、か細かった呼吸が次第に力強さを取り戻していった。

 祝詞を奏上し終えた嵯峨が「変ですねえ」と小首を傾げた。

「もう大丈夫なはずなんですが……」

 それなのに、ゆらが目覚める気配がない。

「何か手違いがあったのでは」

宗明が問えば、鈴が「旦さんに限ってそんなことはない」と横槍を入れる。

「どこか怪我してるんじゃないか」

新之助も心配そうにゆらの顔を覗き込んだ。

そこで聞こえたのは、グーというお腹の音。

「まさか……」

途端に宗明の顔が曇った。

「なんや?心当たりあるんか」

「だん……ご……」

そこで途切れ途切れにゆらの口から漏れた言葉に、宗明は(ああ、やっぱり)と頭を抱えた。

「なんや、だんごて。蜘蛛に簀巻(すま)きにされたいう意味か」

「鈴は少しお黙り」

「せやかて旦さん」

「ゆらちゃん。今起きたら、京土産の美味しいお菓子を差し上げますよ。もちろんお団子もあります」

嵯峨の朗らかな声に誘われたように、ゆらの大きく丸い目がぱっちりと開いた。

「京のお団子」

「はい。こちらにございます。お部屋に入っていただきましょう」

「はあい」

 単純なのか。げんきんなのか。

 仕える姫のあまりの明快さに宗明はどっと疲労を感じた。

「ん……三郎太、どうしたの」

「いえ……。ご無事でようございました」

「蜘蛛は」

「心配させなや、ゆら。蜘蛛はうちの旦さんがとっくに退治してくれはったわ」

「旦さん……」

 視線を動かせば、そこには烏帽子を被った公家風の男が二人。

 一人は確かに蜘蛛の集団に襲われたときに助けてくれた人だった。

 では、もう一人は?

 ゆらの視線で思いを察したのか、嵯峨がくすりと笑った。

「こちらは私の弟子で榊(さかき)斎斗(さいと)と申します。ほら、斎斗、ご挨拶」

 懐っこそうな嵯峨に対し、弟子の方はそういうことはないらしい。

 冷めた表情のまま、一言「よろしく」と言っただけだった。

「斎斗は相っ変わらずやな。ほんまおもろない男やで」

「鈴猫は黙ってな」

「鈴や、鈴。猫を付けんなって、何べん言うたらわかんねん!」

「猫に猫って言って何がいけないんだよ」

「斎斗。鈴」

 嵯峨に呼ばれ、ぴたりと止む二人の口喧嘩。

 ここまでで三人の関係性がなんとなく分かったような気がした。
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