姫恋華〜ひめれんげ〜【改稿版】
 ゆらたちと別れた新之助は、そのまま深川界隈を歩いていた。

「ゆらさんの母上は俺も探してみるから」

 そう言い置いて立ち去ったものの、新之助もこれからどういった処遇を受けるか分からない。

 もし藩への帰還命令が下れば、ゆらたちとはもう二度と会うことはないと思われる。

 無論、彼らは新之助の事情を知らない。

 ただ、たまたま同じときに、同じ場所にいたというだけだ。

 天真爛漫なゆらが暗い顔をしていたのが気になりながらも、それはもう己の与り知らぬことだと心に決め、目的の場所へと足を向けた。





「ようやったな」

 新之助がやって来たのは藩邸。

 そこで、さっそく近藤に面会を求めた。

 まず近藤にかけられたのは、労いの言葉だった。

 平伏する新之助に面を上げるように促すと、

「佐伯は今下屋敷の一室で蟄居(ちっきょ)を命じている。国許より沙汰が下れば、腹を切ることになるだろう」

 そう淡々と告げた。

「証拠の品はこちらに」

 屋敷の騒ぎのどさくさに紛れ、夜盗まがいの真似をして手にした書状の束だった。

「うむ、ようやった。そなたが直接手を下しはしまいかと案じていたが、短慮を起こさなかったようで安心したぞ」

「……正直、斬りたいとは思いました」

 父母の無念を思えば、自ら手を下したい。

 そう思うのが人情だろう。

「ですが、あそこで斬ってしまえば、私もまた外道へ落ちてしまいます」

 佐伯の欲にまみれた醜悪な顔が思い出され、新之助はギュッと瞼を閉じた。

 感情を押し殺さなければ、また怒りが再燃しそうだった。

「国許へも早馬を出した。果たしてご家老まで累が及ぶかは分からぬが。殿の御心次第であろう。だが、そなたにはことが終わり次第、一度国許へ戻るよう沙汰があったぞ」

 新之助ははっと顔を上げた。

「……左様でございますか」

「殿はそなたを案じておられる」

「……ですが、まだすべてが明らかになったわけではありません」

 佐伯の起こした一連の事件は、かの者の取り調べが終わらなければ、本当の意味では収束しない。

 国許に戻るにしても、新之助はそこを見届けてからにしたかった。

「お前はそう言うと思ったぞ」

 近藤の微笑みに、新之助はほっと息をついた。

「では……」

「ならば、そなたに一つやってもらいたいことがある」

「え?」

「直隆よ。おはらさまは今京におられる」

 新之助の胸がどくりと波打った。

「姉上が」

「うむ。ご正室側を刺激せぬようにとの殿のご配慮でな。殿のお母上のご親戚がおられる京に匿われたのだ。殿はおいそれと国外にお出になれぬご身分。おはらさまの弟であるそなたなら適任であろう」

「……ご配慮、いたみいります」

「こたびの働きの報酬と思え。出立はいつでもよい」

「は……」

 伯父の温かさが胸に沁みた。
 


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