姫恋華〜ひめれんげ〜【改稿版】
「らっしゃい!」

 屋台の主人に威勢よく声を掛けられ、ゆらは思わず、「一つ。あっ。こっちの饅頭も」と声を出していた。

「へい、お待ち」

 差し出された団子と饅頭の包みを受け取ると、ゆらは顔を綻ばせながらその場を立ち去ろうとした。

「おいおい、お嬢ちゃん。ちょい待ち」

「へ?」

 さっそくみたらしを頬張ろうとしていたゆらは、口を開けたままの間抜け面で振り向いた。

「お代がまだだぜ」

「おだい?」

 一瞬考えて、ゆらは「あっ」と声を上げた。

 そう言えば、街で物を貰う時は銭というものを払うのだと、あやめに聞いたことがある。

 水戸にいた時の街中での買い食いは、全てあやめが支払いを済ませてくれていたので、ゆらは店においての一連のやり取りには全く無頓着だった。

「ご、ごめんなさい」

「いいからさ。早く代金払ってくれよ」

(ど、どうしよう)

 城を抜け出すのに必死で、銭のことなど頭になかったゆらは、当然無一文だった。

「おい、おい。食い逃げかよ」

 主人が声を上げれば、道行く人が立ち止まり、屋台の周りは瞬く間に人垣が出来てしまった。

 そんな状況に、ゆらはますます混乱し、おどおどおろおろするばかり。

「おい。嬢ちゃん。払わねえなら、そこの自身番(交番のようなもの)に行ってもいいんだぜ」

「あ、あの……」

 主人が屋台から道の方に出てきて、ゆらの手首をつかんだ。

「ひっ」

「おお、玄さん。しょっ引くのかあ」

「おうよ。身なりがいいって油断するもんじゃないぜ」

 そう言いながら、玄さんと呼ばれた主人はゆらを引きずって行こうとする。

「あの。今から帰って、ちゃんとお代持ってきますから!」

 慌てて言えば、玄さんはものすごい形相で

「うるせい!そう言って逃げようったって、そうはいかねんだよ。大体お前みたいな可愛い顔して、男に取り入ろうって奴は信用ならねえ」

(ええ?偏見ですう)

 泣きそうになるのを堪えながら、とうとうゆらは玄さんに引き摺られるように連れて行かれた。

「ちょっと、玄さん」

 しかし、そこに救いの神が。

「そんなお嬢さんが食い逃げなんてする筈ないでしょう?今日はわたしに免じて、お嬢さんを解放してあげてよ」

 凛とした良く通る声に振り返れば、ゆらよりも頭一つ分は背の高い、綺麗な女の人が立っていた。

 形の良い唇の端をくいっと上げて微笑んでいる様は、何とも艶っぽい。

「お、おしずさん」

 ゆらに対するのとは明らかに違う態度で、玄さんは声を上ずらせた。

「その手、離して」

「でも、おしずさん。こいつは!」

「こんなあどけないお嬢さんを自身番に突き出すなんて、まさか玄さん、そんな人でなしな事するようなお人じゃないだろう?今日はたまたま財布を忘れただけかもしれないし。ここはひとつ、あたしに預けておくれよ。お代もほら、あたしが払うからさ」

 言って、おしずという色っぽい女性は、玄さんの手の平に銭を握らせた。

「足りるだろう?」

「あ、ああ。済まねえな、おしずさん。あんたにここまで言われたら、俺も引くしかねえよ。おい、嬢ちゃん。お
しずさんにしっかり礼を言うんだぞ。この人が来てくれなきゃ、お前さん今頃盗人扱いだったぜ」

 心なし青ざめているゆらに、少し柔らかくなった言葉を投げかけて、玄さんは屋台の中へと戻って行った。
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