姫恋華〜ひめれんげ〜【改稿版】
それからしばらくして部屋を出た二人は、明かりの乏しい廊下を通って、幾分日当たりのよい縁側に出た。
「日当たりの悪い家でしょう?冬には本当に凍えてしまうの」
おしずは恥ずかしそうに言った。
道場主の部屋は、この屋敷で一番日当たりのよい場所にあるようだ。先程の狭い部屋よりも気温がぐんと上がり、ゆらもほっと息をついた。
「父上。お客さまよ」
開け放たれた障子の向こうの部屋に、白いひげを蓄えた老人が座していた。小柄ながら辺りを払うような貫禄がある。
それが、ゆらとお師匠さまの出会いだった。
「ふむ」
部屋の中に入り、おしずの隣に座ったゆらが名を名乗ると、道場主である柳生が感慨深そうに声を出した。
「父上?」
不思議そうな顔をしたおしずに、柳生は「師範代を呼んで来い」と指示を出した。
「師範代は今稽古を付けてらっしゃるわ」
「構わん。呼んで来い」
有無を言わせぬ言いように、おしずはしぶしぶという感じに部屋を出て行った。
「さて、ゆらさん」
「は、はい」
「上さまはご息災かのう?」
「う、う、う、うえさま?」
「ほほほ。あなたさまのお父上じゃ」
「……!」
ゆらは奇異な物でも見るような目で柳生を見つめた。
その動揺が柳生に確信を与えたようで、「やはりのう」と言いながら、鷹揚な仕草でキセルに煙草を詰めている。
「お顔を見た時に似ておられると思うたが、お名を聞いてもしやと思うたのです」
「ど、ど、ど……」
言葉にならないゆらに、にっと笑うと、
「わしはここに道場を開く前に、恐れ多くもお父上と兄君に剣術を指南申し上げていたのですよ。ゆら姫さまは水戸におられたのですなあ」
ゆらはがくっと肩を落とした。
(世間、狭すぎっ!)
「こうして、お会いできたのも何かの縁のように思われるのう。有難い事じゃ」
「はあ」
力なく答えるゆらに構わず、柳生はにこにこと何処までも朗らかだった。
「それで?姫さまはどうしてここにおいでになった?」
「それは……」
ゆらが言い淀んでいる間に廊下に足音がし、おしずの他にもう一人、やや強面ながら整った顔立ちの美丈夫が部屋に入って来た。
「お師匠、お呼びか?」
「おお、師範代。忙しい所を済まぬのう」
「いえ。それで、ご用件とは?」
「うむ。おしずも聞いておけ。こちらは、将軍家の姫君 ゆらさまじゃ」
(うわっ。言っちゃったよ)
別に隠しておかなければならない事ではないが、お忍び気分なだけに素性の知れるのは気恥ずかしい。
「え?」
「ほう」
おしずはただ驚いたようだが、師範代はぎろっと、まるで値踏みするかのようにゆらを見ている。
「ゆらさまは水戸のご隠居の秘蔵っ子でな。江戸にお戻りになる折に、わしもご隠居から文を頂いておったのだ」
「そう言えば、二年ほど前に水戸から使いの方がおいでになったことがありました」
「左様。しかし、いかんせん、わしはすでに市井の中に身を置いておる。城に上がる機会もない。自然、姫さまにお会いする機会もなく、時ばかりが過ぎておったが、なるほど来るべき時というのは必ずあるものじゃな」
「まあ……」
おしずが静かに感嘆の声を漏らしている。
が、師範代は他の二人ほどには感激屋ではないらしい。
ずいっと柳生の方に身を乗り出すと、
「厄介事が舞い込む前に、早々にお帰り頂くがよろしいかと」
と師匠を睨み付けた。本人にその気はないのだろうが、鋭い眼差しだけに、傍から見ると睨んでいるように見える。
「日当たりの悪い家でしょう?冬には本当に凍えてしまうの」
おしずは恥ずかしそうに言った。
道場主の部屋は、この屋敷で一番日当たりのよい場所にあるようだ。先程の狭い部屋よりも気温がぐんと上がり、ゆらもほっと息をついた。
「父上。お客さまよ」
開け放たれた障子の向こうの部屋に、白いひげを蓄えた老人が座していた。小柄ながら辺りを払うような貫禄がある。
それが、ゆらとお師匠さまの出会いだった。
「ふむ」
部屋の中に入り、おしずの隣に座ったゆらが名を名乗ると、道場主である柳生が感慨深そうに声を出した。
「父上?」
不思議そうな顔をしたおしずに、柳生は「師範代を呼んで来い」と指示を出した。
「師範代は今稽古を付けてらっしゃるわ」
「構わん。呼んで来い」
有無を言わせぬ言いように、おしずはしぶしぶという感じに部屋を出て行った。
「さて、ゆらさん」
「は、はい」
「上さまはご息災かのう?」
「う、う、う、うえさま?」
「ほほほ。あなたさまのお父上じゃ」
「……!」
ゆらは奇異な物でも見るような目で柳生を見つめた。
その動揺が柳生に確信を与えたようで、「やはりのう」と言いながら、鷹揚な仕草でキセルに煙草を詰めている。
「お顔を見た時に似ておられると思うたが、お名を聞いてもしやと思うたのです」
「ど、ど、ど……」
言葉にならないゆらに、にっと笑うと、
「わしはここに道場を開く前に、恐れ多くもお父上と兄君に剣術を指南申し上げていたのですよ。ゆら姫さまは水戸におられたのですなあ」
ゆらはがくっと肩を落とした。
(世間、狭すぎっ!)
「こうして、お会いできたのも何かの縁のように思われるのう。有難い事じゃ」
「はあ」
力なく答えるゆらに構わず、柳生はにこにこと何処までも朗らかだった。
「それで?姫さまはどうしてここにおいでになった?」
「それは……」
ゆらが言い淀んでいる間に廊下に足音がし、おしずの他にもう一人、やや強面ながら整った顔立ちの美丈夫が部屋に入って来た。
「お師匠、お呼びか?」
「おお、師範代。忙しい所を済まぬのう」
「いえ。それで、ご用件とは?」
「うむ。おしずも聞いておけ。こちらは、将軍家の姫君 ゆらさまじゃ」
(うわっ。言っちゃったよ)
別に隠しておかなければならない事ではないが、お忍び気分なだけに素性の知れるのは気恥ずかしい。
「え?」
「ほう」
おしずはただ驚いたようだが、師範代はぎろっと、まるで値踏みするかのようにゆらを見ている。
「ゆらさまは水戸のご隠居の秘蔵っ子でな。江戸にお戻りになる折に、わしもご隠居から文を頂いておったのだ」
「そう言えば、二年ほど前に水戸から使いの方がおいでになったことがありました」
「左様。しかし、いかんせん、わしはすでに市井の中に身を置いておる。城に上がる機会もない。自然、姫さまにお会いする機会もなく、時ばかりが過ぎておったが、なるほど来るべき時というのは必ずあるものじゃな」
「まあ……」
おしずが静かに感嘆の声を漏らしている。
が、師範代は他の二人ほどには感激屋ではないらしい。
ずいっと柳生の方に身を乗り出すと、
「厄介事が舞い込む前に、早々にお帰り頂くがよろしいかと」
と師匠を睨み付けた。本人にその気はないのだろうが、鋭い眼差しだけに、傍から見ると睨んでいるように見える。