姫恋華〜ひめれんげ〜【改稿版】
「抜け出すことをやめろとは言わないのですか?」
そう問えば、柳生はふっと人のいい笑みを浮かべた。
「水戸のご隠居さまからの文に、もしゆらさまが訪ねてきたら、力になってやってくれと認めてあった。まあ、そんなことが書かれてなくても、わしはゆらさまの味方だが。のう、師範代?」
険しい表情の師範代が、ぎろっとゆらを睨んだ。
その視線を真正面から受け、ゆらはびくっと肩を震わせた。
「お城の方がご了承されての外出というのであれば、こちらからは何も申し上げることはありません。姫さまの安全が第一でございます故」
「ふむ。それはそうだ」
「いざとなれば、私もお守り致しますが……。いかがでしょう。姫さまにその気がおありなら、稽古を付けて差し
上げましょうか?」
「ほう。それは良い考えだ。さすがは師範代だのう」
「まあ。それなら、ゆらさまがここにいらっしゃる理由にもなるわね」
何故か、おしずもうきうきと声を弾ませている。
(あれ。話が変な方向に……)
ゆらが不安に思い始めた時はもう遅く、三人はゆらに付ける稽古について話を詰め始めていた。一人取り残された感のあるゆらが、ぼんやりと三人が楽しそうに話をしているのを眺めていると、廊下に衣擦れの音がし、若い侍が姿を見せた。
「お師匠さま。お客さまでございます。どちらにお通し致しましょう?」
「おお。そうか。ならば、わしが玄関まで行こう」
「はい。かしこまりました」
「ゆらさまは、わしが戻るまでゆっくりされていよ」
そう言われてしまうと、「帰る」という訳にもいかず、ゆらは出されていた湯呑を手にした。
「では、私も失礼して道場に戻ろう。また何かあれば教えてくれ」
師範代はおしずにそう言い置くと、部屋を出て行った。
「ふふ。いい人でしょう?」
女二人になったところで、おしずがおもむろに、そう切り出した。
「へ?」
「素敵よねえ。師範代」
色恋ごとには疎いゆらも、何となく分かってしまった。
「えっと、つまり、おしずさんは師範代の事を好きなんですか?」
「あら、やだ」
ばしっと肩を叩かれ、思いの外強い力に体が沈む。
「強面で無愛想だからちょっと怖い感じだけど。本当はとても優しくて、いい人なのよ」
(そ、そうなんだ……)
「じゃあ、師範代もおしずさんの事を?」
「ふふ。それは分からないわ。だって、あの人、ちっとも表情に出ないんだもの」
「ああ。ですね……」
では、おしずの恋も前途洋々という訳でもないのか。
(おしずさんにはお世話になったし、わたしに出来ることがあればしてあげたいな)
生来お人好しなゆらは面倒を背負い込む性質で、それ故、自身を追い込んでしまうという所がある。
母の事にしてもそうだ。医師や腰元に任せておけばいいものを、自分で出来ることをと思うあまりに、自分には何も出来ないのだと、しなくてもいい落胆をしてしまい、結果城を抜け出すという所まで至ったのだ。己の出来ることには限度があるのだと理解するには、彼女はまだ若すぎた。
頬を赤らめるおしずを見返しながら、ゆらの頭の中では目まぐるしく師範代との仲を取り持つ計画が練られていた。
そう問えば、柳生はふっと人のいい笑みを浮かべた。
「水戸のご隠居さまからの文に、もしゆらさまが訪ねてきたら、力になってやってくれと認めてあった。まあ、そんなことが書かれてなくても、わしはゆらさまの味方だが。のう、師範代?」
険しい表情の師範代が、ぎろっとゆらを睨んだ。
その視線を真正面から受け、ゆらはびくっと肩を震わせた。
「お城の方がご了承されての外出というのであれば、こちらからは何も申し上げることはありません。姫さまの安全が第一でございます故」
「ふむ。それはそうだ」
「いざとなれば、私もお守り致しますが……。いかがでしょう。姫さまにその気がおありなら、稽古を付けて差し
上げましょうか?」
「ほう。それは良い考えだ。さすがは師範代だのう」
「まあ。それなら、ゆらさまがここにいらっしゃる理由にもなるわね」
何故か、おしずもうきうきと声を弾ませている。
(あれ。話が変な方向に……)
ゆらが不安に思い始めた時はもう遅く、三人はゆらに付ける稽古について話を詰め始めていた。一人取り残された感のあるゆらが、ぼんやりと三人が楽しそうに話をしているのを眺めていると、廊下に衣擦れの音がし、若い侍が姿を見せた。
「お師匠さま。お客さまでございます。どちらにお通し致しましょう?」
「おお。そうか。ならば、わしが玄関まで行こう」
「はい。かしこまりました」
「ゆらさまは、わしが戻るまでゆっくりされていよ」
そう言われてしまうと、「帰る」という訳にもいかず、ゆらは出されていた湯呑を手にした。
「では、私も失礼して道場に戻ろう。また何かあれば教えてくれ」
師範代はおしずにそう言い置くと、部屋を出て行った。
「ふふ。いい人でしょう?」
女二人になったところで、おしずがおもむろに、そう切り出した。
「へ?」
「素敵よねえ。師範代」
色恋ごとには疎いゆらも、何となく分かってしまった。
「えっと、つまり、おしずさんは師範代の事を好きなんですか?」
「あら、やだ」
ばしっと肩を叩かれ、思いの外強い力に体が沈む。
「強面で無愛想だからちょっと怖い感じだけど。本当はとても優しくて、いい人なのよ」
(そ、そうなんだ……)
「じゃあ、師範代もおしずさんの事を?」
「ふふ。それは分からないわ。だって、あの人、ちっとも表情に出ないんだもの」
「ああ。ですね……」
では、おしずの恋も前途洋々という訳でもないのか。
(おしずさんにはお世話になったし、わたしに出来ることがあればしてあげたいな)
生来お人好しなゆらは面倒を背負い込む性質で、それ故、自身を追い込んでしまうという所がある。
母の事にしてもそうだ。医師や腰元に任せておけばいいものを、自分で出来ることをと思うあまりに、自分には何も出来ないのだと、しなくてもいい落胆をしてしまい、結果城を抜け出すという所まで至ったのだ。己の出来ることには限度があるのだと理解するには、彼女はまだ若すぎた。
頬を赤らめるおしずを見返しながら、ゆらの頭の中では目まぐるしく師範代との仲を取り持つ計画が練られていた。