姫恋華〜ひめれんげ〜【改稿版】
「今日は思わぬ人がおいでになるわ」

 高らかに笑いながら柳生が部屋に戻ってくると、そのあとから危うく鴨居に頭をぶつけそうになっている背の高い侍が入って来た。

「んげっ」

 姫君らしくない叫び声を上げた、ゆら。

 その侍は誰あろう、目付け役の宗明だったのだ。

「まあ、清水さま。ご無沙汰致しております」

「おしずどのも息災で何より」

 ゆらは二人が挨拶を交わすのを、呆然と眺めることしか出来ないでいる。

「わたくし、お茶を入れて参りますね」

 そそくさと出て行くおしずが、ゆらにだけ分かるように目配せし、声を出さずに唇の動きだけで何かを伝えてきた。

 おしずが部屋を出て行くと、途端に胸がズシンと重くなる。

 おしずは確かに「頑張って」と言い置いて行ったのだ。

 言わずもがな、宗明とのこれからを思っての言葉だろう。

 ゆらの事はそっちのけで談笑する宗明と柳生。

 どうやら宗明もまた、柳生に師事していた事があるようだ。

 そう思うと、このお師匠。何気に凄い人なのだと実感してくる。

「ゆらさま」

 またぼうっとしていたゆらを、不意に柳生が呼んだ。

「は?はい!」
「清水どのに先程の話をざっとだが申し上げてある。ゆらさまからも何かあるかな?」

「え?えっと……」

 隣に座す宗明をちらっと見れば、その顔には先程まであった笑顔はなく、何の表情も読み取れなかった。

(怒ってる~)

 彼が目付け役となって、ひと月。彼の無表情は怒りを内包しているのだと、いくら鈍いゆらでも気付いていた。

 出来るなら、このまま逃げてしまいたい。

 幸い、ゆらのすぐ側に縁側がある。
 
 だが、ここで逃げても何もならないのだと、さすがのゆらも学習していた。穏便に済ませられるならその方がいいと、ゆらはいつもよりもやや高めの声で宗明に言った。

「ごめんね」

 前を見据える宗明の形の良い眉がピクリと動いた。

 ゆっくりと、ゆらに顔を向ける宗明。彼女の顔を見た途端、宗明はその場に平伏した。

「ご無事で何よりでございます。姫さま」

「え……?」

 絶対叱責されると身構えていたゆらは、拍子抜けしたように脱力した。

「お怪我はありませんか?」

「な、ないよ」

「よもやと思い、柳生さまの道場に伺ってようございました。何か怖い思いはされませんでしたか?」

「してないわ」

 平伏したまま問うてくる宗明に、ゆらは居心地の悪さしか感じない。

 頭ごなしに怒鳴られる方がましだった。

「さ、三郎太。顔を上げてちょうだいよ」
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