姫恋華〜ひめれんげ〜【改稿版】
「百歩譲って男姿で出歩かれることはお許し致しましょう。どこに危険が転がっているかも分かりませんからね。しかし。姫君としての立居振舞は、いついかなる時もお忘れになってはいけません。一度身に付いてしまった下品な仕草は、直そうと思ってもなかなか直せるものではありません。人前で大口開けて団子を頬張るなど、言語道断。そのことは、よく肝に銘じて頂いて、このように人目のない時でも気を抜くことなく、いえ、このような所だからこそ、どこに人が潜んでいるとも知れぬのです。男姿をなさっていても、やはり女子であることは隠しきれませぬ。ご自分の身を守るためにも……」
 
 まるで小姑のようにねちねちと続くお小言に、半ばうんざりしながら、ゆらは最後の団子を頬張った。そして宗明の話を右から左に流しながら、この小姑のようなお付きの侍を如何にして撒いてしまうかという事に思考を集中させている。

 そんな事には気付かず説教を続ける宗明。

「この清水宗明が、命を賭してお守り致す所存ではありますが」

 などと、何故か自分の決意表明をしていたり、

「それでも、将軍家の惣領姫としての自覚を、あなたさまご自身にもお持ち頂きたく」
と、弁に熱が籠るあまり、守るべき姫の素性を明かしてしまっていたり。

 しっかりしているようで、どことなく抜けている感のある彼だったが、それも彼女の身を案ずればこそのことであろう。

「三郎太」
「は?」
「団子も食べちゃったし、帰ろうかあ」

 岩の上に立ち上がり、ぴょんと飛び降りる姫。

 話の腰をくじかれた宗明は、まだ説教したりないと言う顔をしながらも、慌てて姫の後を追う。

 宗明が飛び降りた所で見たものは、海の遥か沖に目をやる姫の姿。

 大きな真ん丸な目には、まるで星が宿っているかのように、きらきらと輝く瞳。

 まっすぐに海を見つめるその瞳は何処までも澄んでいて、冴え冴えとした夜のきらめきを思わせた。

(ああ。ゆらさまは綺麗だ……)
 
 高鳴ることはない。ただ、苦しいだけだ。その苦しみを握りつぶすかのように、宗明は襟元をぎゅっと掴んだ。

 慣れることのない苦しみ。彼女には決して気付かせてはならない痛み。

 それを抱えたまま彼女の側にいることを選んだのは、己れ自身だ。宗明はそっと小さな息を吐いて、その苦しみを体の外に追い出した。
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