姫恋華〜ひめれんげ〜【改稿版】
「三郎太!」
「はい」
「三郎太!あれが、黒船?」
「え?」

 興奮した声を上げる姫に誘われるように目をやれば、一隻の大きな船が岬の突端に姿を見せた所だった。

「そのようですね。さあ、目的はすべて果たせました。帰りますよ」

 一刻も早く、ここを立ち去るべきだ。

 彼女を促して歩き出そうとする宗明に、しかし彼女は付いて行かない。

「あの黒船がもっと近くまで来るまで待ってるもん」

「……あれは、これ以上湾の中には入って来ません。座礁しますからね」

「ええ!?」

「ええ!では、ありません。黒船なんぞ見物に来ていると上さまがお知りになったら、今度こそ外出禁止になりますぞ」

 そうなのだ。彼女の目的は団子だけではなく、この処頻繁に姿を見せるようになった黒船こそ、彼女の第一の目的だった。
 
 ここぞとばかりに「将軍に報告するぞ」と奥の手をちらつかせる宗明に、少女はぷうっと頬を膨らませた。

「また、そのような顔をされる。いくら姫さまの我がままでも、これ以上は聞けません。さあ帰りますよ」

「だったら、かあさまに桜の枝を持って帰るわ」

「よろしゅうございます。あちらの山桜から、私が一枝折って参りましょう」
 
 松林の向こうの小高い丘に、一本だけひっそりとある山桜。それに向かって宗明は歩き出した。

 これ幸いとばかりに、姫は何故か宗明とは逆の方向に走り出した。下駄を脱ぎ捨て裸足で疾走する姿は、もはや深層の姫君のそれではない。

 後ろから宗明の怒号が追いかけて来たが、そんな事には構わず、彼女はひたすら街道を駆け岬の突端までやって来た。松林にいた時よりも、ぐっと黒船が近くなる。その中で働く異人の姿も見えそうだった。
 
 彼女の瞳の中のきらきらが、いっそう輝きを増した。

「く・ろ・ふ・ね~~~!!」

 乙女の浪漫を掻き立てられ、大声で叫んだ姫。

「ゆ・ら・さ・ま~」 

 早々と追いついた宗明の、重い拳骨が怖ろしいまでに低い声と共に姫の頭頂部に落とされた。 
< 38 / 132 >

この作品をシェア

pagetop