姫恋華〜ひめれんげ〜【改稿版】
「かあさま……?」

 腫れているように思える頭頂部を擦りながら、ゆらは病床にある母に遠慮がちに声を掛けた。

 あの状況でも、宗明はしっかり桜の枝を折っていて、それを手に城に帰ってすぐ、母の見舞いにやって来たのだ。

 すると母は薄く目を開け、顔だけをこちらに向けた。

「なあに。ゆら?」

 か細い声に、胸がキュッと痛くなるのを感じながら、ゆらは母の側ににじり寄った。

「今日は、昨日よりもお顔の色がいいみたい」

 実際はそうでもないのに、そう言ってしまうのは、自分の願望のせいなのだと、彼女は痛いほどに分かっていた。

 母がふっと笑んだ。

「あ、あのね。これ、咲いてたの。かあさまに……」

「まあ……。もう、そんな季節なのね。ゆらの花ね。嬉しいわ」

 四月生まれの、ゆら。その時期にちょうど咲く桜を、母はあの日以来「ゆらの花」と言って慈しむ。それが嬉しくて、ゆらは桜が咲いているのを見ると決まって一枝手折り母に贈るのだった。

「三郎太と黒船を見に行ったのよ」

 誇らしそうに言うゆらを、桜を見つめていた母は怪訝そうに見返した。

「黒船?」

 今は母と二人きりの室内。これ幸いとばかりに、ゆらは先程見た光景を興奮しながら話した。

「まあ、怖ろしい……。そなたに何かあればどうするのです?」

「三郎太が一緒だったもの」

「その三郎太に責が及びましょう」

「?」

 母は二年前よりいっそう細くなった腕を、ゆらに差し出した。

「よいか、ゆら。人の上に立つものは、常に従う者を気遣うてやらねばなりませぬ」

「でも三郎太だもの。気なんか遣わないわ」

「それは、清水さまのお優しさよ。そなたは、それに気付けるようにならねばなりません」

 そこで、母は深く息をついた。そして、頃合を見計らったように廊下に控えるお中臈が声をかけて来た。

「お方さま。そろそろお休みになりませんと」

「じゃあ、かあさま。また来るわ」

 腰を浮かせたゆらに、母の手がそっと触れた。

「清水さまは何があっても、そなたの側にいてくれましょう。よいか。決してないがしろにしてはなりませぬぞ」

「分かってるわ。かあさま」

 母を安心させるように微笑むと、ゆらは足早に部屋を後にした。

 最近母はまるでゆらの行く末を案ずるようなことばかりを口にするようになった。その原因を考えるのが怖ろしくて、ゆらはあまり深く考えないようにしているけれど、もし母が自分の命について何か感じることがあってそのようなことを口にするようになったのなら……。

 ゆらは廊下を歩きながら、最悪の事態を考えそうになって、ふるふるとかぶりを振った。

 今時分、宗明は役所の方に詰めている。自室に戻ればあやめがいるが、それまでゆらは一人。

 ゆらはきゅっと唇を引き結ぶと、目に付いた草履をひっかけ庭に下りると、目に付いた背の高い木へと登って行った。


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