姫恋華〜ひめれんげ〜【改稿版】
「…何、してらっしゃるのです?」
 
 そんなとこで。
 
 いや、愚問だった。
 
 彼女は登りたいから、そこに登る。団子を食べたいから、食べるのだ。

 単衣に袴という男装束で城下に繰り出し、どこをほっつき歩いて来たんだか。
 
 脇差しまで差して!
 
 慣れたこととはいえ、泣きたくなる……。
 
 側仕えの腰元(こしもと)や、私の気持ちにもなっていただきたい!

 姫さまよ……。その可憐なお姿にふさわしく、御簾(みす)の中で微笑んでいてもらえたら、私の寿命はあと三十年延びるはずですよ……。

 脱力する宗明に気付いているはずなのに。
 
 そんな目付け役を嘲笑(あざわら)うかのように、ゆらは団子を詰め込み過ぎて枝の上で悶(もだ)えていた。

 なんとか団子を飲み込んだゆらは、ぴょんと飛んで、すとんと地面に降り立った。
 
 「あ、危ない!」と声を震わせる宗明のことなど気に掛ける様子もなく、彼にずいっと顔を近付けた。
 
 そしていきなり、
 「三郎太。出るのよ」
 と囁(ささや)くように言ったのだ。宗明はきょとんとした。

「出るって、何がです?」

「これが」

 そう言って、夕羅は両手を前に突き出して、ぶらんとぶら下げた。

 失笑。

「あ、あきれてる!」

「柳を見れば幽霊だと言い、夕顔をみれば妖怪だと言う。そんなあなたさまが言うことは、いちいち真に受けてられませんよ」

 宗明がそう言うと、夕羅はぶぅっと顔を膨(ふく)らませた。

「今度は、ほんとだもん」
「はいはい」
「だって、あたし見たんだから」
「はいはい」
「三郎太。あたし、怖くて眠れない……」

 やれやれと背を向けて、姫の居室(きょしつ)に戻ろうと一歩を踏み出していた宗明(むねあき)は、思いの外(ほか)弱弱しいゆらの声に、ぴたっと立ち止まった。

 振り返って見れば、ゆらは、めったにないくらいに沈んだ顔をしていた。

「姫さま?」

 こんな顔をされては無下(むげ)にも出来ず、話だけでも聞こうと宗明は体の向きを姫の方へ戻した。
 
 結局、宗明は夕羅に弱いのだ。

「何が出ると言うんです?」

「夜、横になってしばらくすると、天井に、ゆらゆらと黒い影みたいのが現れるのよ」

 そう言って、ゆらはぶるりと肩を震わせた。
「よいですか。姫さま」
「うん」
「怖いと思う気持ちが、魔を引き寄せるという事もあるのです。将軍家の姫と言うもの。妖(あやかし)を撃退するくらい、お気持ちを強く持っていらっしゃらねばなりませぬ」

「だって、怖いんだもん」

(まったく。跳(は)ねっ返りかと思えば、妙に怖がりで、気弱な所もおありだ)

 宗明は小さく息を吐くと、

「とりあえず、お部屋に戻りましょう。お許しが出れば、今夜は私が宿直(とのい)を致しますから」

「本当?三郎太、いてくれるの?」

「お許しが出れば、ですよ。さあ、あやめどのも心配されている。参りましょう」

 先程までの怖がりようはどこへやら。

 宗明が宿直(とのい)すると聞いた途端、ゆらは足取りも軽やかに小さな庭を横切ると、自室へと通じる縁へ上がっている。

「まだ、泊まるって決まった訳ではないんだけどな」

 そう言いながらも、宗明の眼は優しく細められていた。
 

 
 かけがえのない少女。

 自分が、この手で守るべき少女。

 他の誰でもなく、この清水宗明だけが。

 夕羅(ゆら)姫を守るのだ。
 
 これからも、ずっと……。



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