姫恋華〜ひめれんげ〜【改稿版】
花見の会場として白羽の矢が立ったのは、若年ながら困窮する藩財政を立て直したという時の人、外様大名の赤松和成。その播磨国某藩の江戸上屋敷であった。その庭には桜並木があり、その眺めの素晴らしさは市中でも評判だった。
しかし藩邸に多数の藩主を招くなど、藩の機密や防犯の意味からも問題が多く赤松は丁重な断りを入れたというが、将軍のごり押しでついに首を縦に振らざるを得なくなってしまった。
春の日が燦々と降り注ぐ、絶好の花見日和。
城からは、うきうきとした様子の将軍御一行が出立した。行列には当然ゆらも加わっており、華やかな輿に乗り一路藩邸を目指した。
播磨国某藩の江戸上屋敷は城からそう離れてはおらず、大した時間も掛からず到着したが、普段歩き回っている周辺を輿で行くことに、ゆらは少々物足りなさを感じたらしい。
輿の窓を少し開け、脇を歩くあやめに声をかけた。
「ねえ。ちょっと降りてみてもいい?」
「だめです」
今日は強気のあやめであった。諸藩の大名が居並ぶ場所で、将軍家の姫が変わり者と噂が立っては、いよいよ嫁ぎ先がなくなるかも知れない。それだけは避けねばならず、あやめは心を鬼にして、今日は一日大人しくして頂こうと心に誓っているのだ。
「えー」
口を尖らせるゆらに、
「間もなく着きましょう。大人しゅう座っていなされ」
と、言葉強く言い返した。少々胸が痛むが、ここで折れてしまったらゆらが調子に乗るのは目に見えている。
あやめはゆらよりも先に、輿の窓をぴしゃんと閉めてしまった。中から姫の不満そうな声が聞こえてくるが、聞こえないふりをして前だけを見て歩いて行った。
播磨国某藩の上屋敷の敷地はさほど広くないものの、その昔京の職人を招いて設計させたという御殿や庭は、質素なようで随所に趣向の凝らされている立派なものだった。そこに、現在の藩主和成の倹約の意向を受けて一層の無駄が省かれ、苔むした古刹を思わせるような趣ある屋敷となっていた。
「素敵ですわねえ」
あやめが思わず感嘆の声を上げれば、付き従う腰元たちも一斉に頷いた。
将軍の一行から少し離れた場所で輿を降りたゆらは、目を輝かせるあやめたちをしり目にきょろきょろと落ち着かない。
「いかがなさいました?」
「いや。ちょっとね」
聡いあやめは、それだけでゆらが何を考えているか分かったようだ。
「姫さま。抜け出す隙など窺っても無駄でございます」
「え?わたしは別に……」
「本日勝手な振る舞いをなさったら、当分外出は禁止だと清水さまが申されておりました」
「ええ?なんで~」
宗明は本来の役目で今日は将軍に付き従っている。ゆらの側にはいられないため、事前にしっかり釘を刺しておこうと言うつもりだった。
「三郎太の奴~」
「口汚いことを申されますな。さあ、皆さま能舞台の方に行かれますぞ」
将軍と御台所を始め、病床の芳乃以外の側室がぞろぞろと屋敷の奥へと向かっている。そこには兄 政光の姿もあり、久々に見る異母兄の姿に、ゆらはまたうずうずと走り出しそうになっている。めったに会えない兄に、いろいろな話を聞いて貰いたい……。斜め前に座った優しい兄の横顔は穏やかでいて、どこか憂いを帯びていた。
しかし藩邸に多数の藩主を招くなど、藩の機密や防犯の意味からも問題が多く赤松は丁重な断りを入れたというが、将軍のごり押しでついに首を縦に振らざるを得なくなってしまった。
春の日が燦々と降り注ぐ、絶好の花見日和。
城からは、うきうきとした様子の将軍御一行が出立した。行列には当然ゆらも加わっており、華やかな輿に乗り一路藩邸を目指した。
播磨国某藩の江戸上屋敷は城からそう離れてはおらず、大した時間も掛からず到着したが、普段歩き回っている周辺を輿で行くことに、ゆらは少々物足りなさを感じたらしい。
輿の窓を少し開け、脇を歩くあやめに声をかけた。
「ねえ。ちょっと降りてみてもいい?」
「だめです」
今日は強気のあやめであった。諸藩の大名が居並ぶ場所で、将軍家の姫が変わり者と噂が立っては、いよいよ嫁ぎ先がなくなるかも知れない。それだけは避けねばならず、あやめは心を鬼にして、今日は一日大人しくして頂こうと心に誓っているのだ。
「えー」
口を尖らせるゆらに、
「間もなく着きましょう。大人しゅう座っていなされ」
と、言葉強く言い返した。少々胸が痛むが、ここで折れてしまったらゆらが調子に乗るのは目に見えている。
あやめはゆらよりも先に、輿の窓をぴしゃんと閉めてしまった。中から姫の不満そうな声が聞こえてくるが、聞こえないふりをして前だけを見て歩いて行った。
播磨国某藩の上屋敷の敷地はさほど広くないものの、その昔京の職人を招いて設計させたという御殿や庭は、質素なようで随所に趣向の凝らされている立派なものだった。そこに、現在の藩主和成の倹約の意向を受けて一層の無駄が省かれ、苔むした古刹を思わせるような趣ある屋敷となっていた。
「素敵ですわねえ」
あやめが思わず感嘆の声を上げれば、付き従う腰元たちも一斉に頷いた。
将軍の一行から少し離れた場所で輿を降りたゆらは、目を輝かせるあやめたちをしり目にきょろきょろと落ち着かない。
「いかがなさいました?」
「いや。ちょっとね」
聡いあやめは、それだけでゆらが何を考えているか分かったようだ。
「姫さま。抜け出す隙など窺っても無駄でございます」
「え?わたしは別に……」
「本日勝手な振る舞いをなさったら、当分外出は禁止だと清水さまが申されておりました」
「ええ?なんで~」
宗明は本来の役目で今日は将軍に付き従っている。ゆらの側にはいられないため、事前にしっかり釘を刺しておこうと言うつもりだった。
「三郎太の奴~」
「口汚いことを申されますな。さあ、皆さま能舞台の方に行かれますぞ」
将軍と御台所を始め、病床の芳乃以外の側室がぞろぞろと屋敷の奥へと向かっている。そこには兄 政光の姿もあり、久々に見る異母兄の姿に、ゆらはまたうずうずと走り出しそうになっている。めったに会えない兄に、いろいろな話を聞いて貰いたい……。斜め前に座った優しい兄の横顔は穏やかでいて、どこか憂いを帯びていた。