姫恋華〜ひめれんげ〜【改稿版】
 桜の宴から十日後。

 ゆらは御台所に呼ばれ、御前に伺候していた。

 世継ぎの政光の母である御台所は、ゆらとはなさぬ仲になるけれど、病床の芳乃に代わり何くれとなく気にかけてくれる心強い存在だった。ちなみに、先日の桜の刺繍の豪奢な打掛も御台所からの賜り物だった。

「ご機嫌いかが?ゆら姫」
「はい。すこぶる良いです」
「ほほ。そのようですね。宗明どのに、あまり世話を掛けないようにしていますか」
「はい。大丈夫です」
「そう?」

 御台所はくすくすとさも可笑しそうに笑った後、「さて」と居住まいを正した。

「今日あなたを呼んだのは、とても大事なお話があるからなの」

「はあ……」

「すでに聞き及んでいるかも知れないけれど、あなたに縁談があります」

「えんだん?」

 聞き慣れない言葉に、ゆらは小首を傾げた。

「そう。さる藩の大名でいらっしゃるのだけれど、あの桜の宴の折にお邪魔したでしょう?その藩主さまよ」
「……」

 話が飲み込めない。何が、どうなって、そんな話になったのか。

「嫌です」

 きっぱり即答したゆらに、御台所は困った顔を向けた。

「嫌と申しても、そなたはこのお話を受ける以外にないのですよ」

「い・や・で・す」

「姫。上さまが愛娘のそなたに最良のご縁談を下されたというのに、何故そのように頑ななのです?」

「だって……わたしは……」

 反論するための、上手い言葉が見つからなかった。

「いい加減に我がままを控えて、お家の為になることを出来るようにならねばなりませぬ。よいですか?これはもう決まったことなのです。嫁ぐ日まで遊びを控え、姫らしゅう花嫁修業でもしなされ」

「わたしは!」

 たまらず、ゆらは大声を出していた。驚いて目を見張る御台所に対し、ゆらは必死で言葉を紡ごうとした。

「わたしは……」

 それでも何を言っても聞いてはもらえない気がして、ゆらはたまらず御台所の部屋を飛び出した。

「姫!!」

 なさぬ仲であるからか、いざとなればそこに隔たりを感じてしまい、ゆらの中にあるたぎるような思いは言葉として出てこなかった。

 何故姫だからといって意に染まぬところに嫁がなければならないのか。どうして誰も、ゆらの内に渦巻く孤独と寂寥感に気付いてはくれないのか。行動の裏にある本当の思いに考えを及ばせてはくれないのか。

 それをその場で御台所に問うことが出来ていたなら、ゆらはこんなにも頻繁に城を抜け出すことはなかったかも知れない。母にぶつけることが出来ない分を、御台所にぶつけることが出来たなら。

 しかし彼女には出来なかった。

 だから逃げた。身悶えするような行き場のない思いを抱えたまま。

(誰も、分かってはくれないんだ……)

 自分から歩み寄らなければ本当の気持ちなど分かっては貰えないという事には気付かないで、ゆらは誰に告げることもなく塀の破れ目へ身を投じた。
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