姫恋華〜ひめれんげ〜【改稿版】
 陰鬱な気持ちのゆらに対し、街はいつものように活気に満ち賑やかだった。その賑やかさの中にいると、自然と顔が綻び気持ちも晴れやかになってくる。城の中で感じる孤独は、ここにはない。

 誰もゆらを知らないから。彼女が姫だと知らないから。だからこそ、ここでは本来の自分でいられる。
 
 それでも、足は勝手知ったる剣術指南道場へと向かって行った。結局彼女には他に行くべきところがなかった。 

 (でも、いい)と、ゆらは思う。柳生家の人たちは、水戸にいた時のような安らぎをくれるから。

 二年前に道場を訪れてから、ゆら自身師範代に剣術を習っていて、三日と空けず通い詰め、今では道場に来る子供たちの大将のようになっていた。

 二年前のあの一件から何故か親しくなった玄さんの屋台で団子と饅頭を買ったあと、母屋の方におとないを入れた。

「まあ、ゆらさま。お久しぶり。珍しく振袖でおいでになったのね」

 おしずに言われて初めて、自分がどんな格好をしているか気が付いた。

「あ、慌ててたから……」

 本当は頭に血が上っていて自分の格好まで気が回らなかったからだが、おしずは深く追求しなかった。

「たまには、ゆらさまのそのようなお姿も良いものですわ。とても可愛らしいもの」
と、満面の笑みで言っただけだった。

 今では姉のように慕うおしずだった。そのおしずに可愛らしいと言われ、悪い気はしないもののやはり気になる。

「なら、わたしの稽古着を貸してあげましょうか」

 その申し出を受け、おしずの部屋を借りて袷と袴に着替えた。

「うん。やっぱり、こっちのほうがしっくり来る」

 すっと身が引き締まり、さっきまでの憤りも、この姿になった途端に取るに足らないものに思えるから不思議だった。

 さあ部屋を出ようと障子に手を掛けた所で、何か違和感のようなものを感じて振り向いた。

(あれ、この感じ……)

 すっかり忘れていたけれど、この道場に来始めてからしばらく感じていた違和感。それを久々に感じ、ゆらは部屋の中を見渡した。

 天井の一角が暗く澱んでいるような……。
もっとよく見ようと近付いてみる。

「ゆらさま?」

 その時、おしずが迎えにやって来た。

「お着替え出来ました?」
「あ、は、はい」

 もう一度天井を見てみたが、やはりそこにはゆらゆらと黒い靄のようなものがある。ゆらはぶるっと身震いして、この事を柳生やおしずに言うべきか考えた。けれど囲炉裏の煤であるとか、何かの煙がここに溜まっているのかも知れないと思い当たり、もう少し様子を見てみようと廊下に出た。
 
 歩き出してすぐ、「今日から新しい先生が来られているのよ」と言いながら、おしずが嬉しそうに振り返った。

「新しい先生?」

「ええ、そうなの。お父さまったら一目で気に入ったみたいで、すぐに採用しちゃったのよ」

「へえ」

 お師匠が気に入ったと言うなら、いい人なのだろう。ゆらは少なからずその人に興味を覚え、道場へ向かう足を速めた。
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