姫恋華〜ひめれんげ〜【改稿版】
 子供たちの稽古はそろそろ終わる時間だったが、まだまだ彼らは元気だ。

 ゆらが道場に戻ったのをいち早く見つけた体格のいい少年が駆け寄ってきた。

「ゆら。遅いぞ。俺との勝負、逃げたのか?」

 これは藤吉と言って、道場近くの長屋に住む町人の子供。近所の子供たちのガキ大将だった。

「逃げてなんかないよ!気合を入れるために顔洗ってたんだ。勝負よ、藤吉」

 (おいおい)と呆気にとられる宗明の手を離し、ゆらは勇んで竹刀を手にした。

 藤吉はまだ10歳くらい。ゆらにとっては、勝っては負けを繰り返す好敵手。精神年齢も、二人ほぼ同じくらいと思われた。

「ゆらさま、手合せの前に紹介しておきましょう。新しく指南役として来てもらっている、風間新之助どのです」

 宗明は、藤吉とゆらが竹刀を合わせようとしているのが気になりながら、師範代の視線の先で会釈する若い侍を見た。

 月代も伸び、総髪になってしまった頭。顔は朗らかに笑っているが、目には鋭い光が宿っていた。

(浪人者……と言ってしまうには隙がなさすぎる。若いが、かなりの手練れだ……)

 会釈を返しながら、一瞬で新採用の指南役を観察し終えると、宗明はゆらの持つ竹刀を取り上げた。

「いい加減になさいませ。帰りますよ」
「何で?」

「何でって、稽古の時間は終わりでしょう。長居をすれば迷惑です」

「やだ。さっき竹刀振ってもいいって言ったじゃない」

「それは、帰ってからでも出来るでしょう?」

「……むう……」

 こうなったら宗明は一歩も譲らない事を知っているゆらは、(師範代もいいって言ってるのに)と思いながらも、言い返せなくなってしまった。

「別にいいんじゃないですか」

 そこに突然割り込んで来たのは、風間新之助だった。彼は帰り支度を始めながら、こちらを見ることなく話していた。その態度に宗明は苛立った。第一印象から何となく気に食わなかったが、この風間という男と深く関われば、ろくなことにならないと本能が訴えかけている。

「そちらには関係ないことだ。下がっていてもらおう」

「約束は守った方がいいと思いますけどね」

「何だと?」

「そちらのお嬢さんに竹刀振ってもいいって言ったんだったら、ちょっとは振らせてあげたらどうですかって言ってんですよ」

 侍同士、初対面で喧嘩腰になるなど、通常ではあり得ない。

 どうやら新之助も宗明を気に入らないらしい。
さすがのゆらも、この事態は自分のせいなのだと思うのか、おろおろと宗明と新之助の顔を見比べている。

 そこに助け舟を出したのは、事の成り行きを静かに見守っていた師範代だった。

「ここは道場だ。互いに剣で決着を付けたらいかがかな?」

「「え?」」

 その場にいた誰もが、師範代の提案に疑問を示した。

「侍の問題は刀で解決するのが当たり前だ。それとも、二人とも自信がないか?」

「「あります」」

 ここまで言われて引き下がれないのが、武士の辛い所だ。

 二人は飄々としていながら、互いを意識しているのがありありと分かる様子で、道場の竹刀を手にした。

(なんで、こんなことになっちゃったの?)

 原因となったのに、ゆらはこの流れに付いていけない。けれど道場にいる他の人は楽しんでいるらしく、道場主である柳生は一番良い位置で観戦しようともう座っているし、おしずも子供たちに応援の掛け声を教えていた。
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