姫恋華〜ひめれんげ〜【改稿版】
部屋に帰り、男装束から、姫装束に着替えたゆらは、やはり将軍家の総領(そうりょう)姫らしく見えるのだ。 結い上げた髷(まげ)に、華やかなかんざしを挿し、桃色の打掛けを羽織って、脇息に体をもたせ掛ける姿には、腰元から感嘆の溜め息が漏れるほどの愛らしさ。
けどそれは、黙って座っているだけなら、という話。口を開けば、どこで覚えてきたのか、町人言葉なんかもたまに出て、宗明は、頭を抱えたくなることがある。
「まあ、元気でいらっしゃるのが、一番ですわなあ。」
と、乳母の如月(きさらぎ)などはのんきに言うが、そこには半分あきらめも混じってはいるのだろう。
(そんな現実を、姫さまを溺愛する上さまが知らないのが、せめてもの救い……)
宗明は何となく天井に目をやりながら、そんなことを考えていた。
夕羅姫は、側室である志乃を母親に持つ。
志乃は商家の娘で、行儀見習いという目的で、腰元となって大奥に上がっていたところを、将軍に見初められたのだった。
美しいが、病弱な母親。それを寵愛する父。そんな二人の間に出来た、たった一人の娘を、将軍は溺愛していた。
正室である御台所には息子が一人。 女の子だからか、志乃と御台所の関係が良好だからか、夕羅は御台所にもかわいがられていた。
環境としては過ごしやすいと思われるのだが、何故かゆらは城を抜け出し、城下を徘徊するようになってしまった。 それが何を原因としているのか。宗明は未だ答えを出せずにいる。
とりあえず、姫が部屋に落ち着いたのを見届けて、宗明は退室しようと立ち上がった。
「三郎太?」
不安そうに声を上げた夕羅を安心させるように微笑み返すと、
「宿直(とのい)の許しを頂いて参ります。夕餉(ゆうげ)の後に、また……」
「……うん。なるべく早くに戻ってね」
まるで子犬のような目でこちらをみるゆらに、鼓動が高まるのを感じて、宗明は気取られないようにそっと視線を外した。
「もちろん。すぐに参ります。では」
縁に出た時、何かがちらりと動いたような気がした。
(なんだ?)
よく見ようと、目を凝らしたが、軒下には何もいない。
(気のせいか)
だが、何となく空気が淀んでいるような、そんな感じを受ける。
(ゆらさまは、勘の鋭い所がおありだからな……)
野生の勘とでも言うべきものが。
「三郎太?」
怪訝(けげん)そうに声を掛ける夕羅に、安心させるように微笑(ほほえ)み掛けて、宗明は今度は本当に、先程の庭に下りた。 心の中では、(これは、本当に、早く戻って来なければならないらしい)と思いながら。
雨戸が閉めめ切られた縁に、宗明は短刀を抱えて座り込んでいた。
春まだ浅い、夜。空気は、ひんやりとしていた。
昼間見た、影のようなもの……。 あれが、頭から離れない。
ゆらはもう夢の中だろう。
宿直(とのい)する旨の挨拶をした時の、彼女のほっとしたような顔が、頭から離(はな)れない。
(妖(あやかし)の類が出るとすれば、丑三つ時か……?)
大奥中を巡る、「火の用心」の声が遠くに聞こえた。静かな夜。音と言えば、それのみだった。
けどそれは、黙って座っているだけなら、という話。口を開けば、どこで覚えてきたのか、町人言葉なんかもたまに出て、宗明は、頭を抱えたくなることがある。
「まあ、元気でいらっしゃるのが、一番ですわなあ。」
と、乳母の如月(きさらぎ)などはのんきに言うが、そこには半分あきらめも混じってはいるのだろう。
(そんな現実を、姫さまを溺愛する上さまが知らないのが、せめてもの救い……)
宗明は何となく天井に目をやりながら、そんなことを考えていた。
夕羅姫は、側室である志乃を母親に持つ。
志乃は商家の娘で、行儀見習いという目的で、腰元となって大奥に上がっていたところを、将軍に見初められたのだった。
美しいが、病弱な母親。それを寵愛する父。そんな二人の間に出来た、たった一人の娘を、将軍は溺愛していた。
正室である御台所には息子が一人。 女の子だからか、志乃と御台所の関係が良好だからか、夕羅は御台所にもかわいがられていた。
環境としては過ごしやすいと思われるのだが、何故かゆらは城を抜け出し、城下を徘徊するようになってしまった。 それが何を原因としているのか。宗明は未だ答えを出せずにいる。
とりあえず、姫が部屋に落ち着いたのを見届けて、宗明は退室しようと立ち上がった。
「三郎太?」
不安そうに声を上げた夕羅を安心させるように微笑み返すと、
「宿直(とのい)の許しを頂いて参ります。夕餉(ゆうげ)の後に、また……」
「……うん。なるべく早くに戻ってね」
まるで子犬のような目でこちらをみるゆらに、鼓動が高まるのを感じて、宗明は気取られないようにそっと視線を外した。
「もちろん。すぐに参ります。では」
縁に出た時、何かがちらりと動いたような気がした。
(なんだ?)
よく見ようと、目を凝らしたが、軒下には何もいない。
(気のせいか)
だが、何となく空気が淀んでいるような、そんな感じを受ける。
(ゆらさまは、勘の鋭い所がおありだからな……)
野生の勘とでも言うべきものが。
「三郎太?」
怪訝(けげん)そうに声を掛ける夕羅に、安心させるように微笑(ほほえ)み掛けて、宗明は今度は本当に、先程の庭に下りた。 心の中では、(これは、本当に、早く戻って来なければならないらしい)と思いながら。
雨戸が閉めめ切られた縁に、宗明は短刀を抱えて座り込んでいた。
春まだ浅い、夜。空気は、ひんやりとしていた。
昼間見た、影のようなもの……。 あれが、頭から離れない。
ゆらはもう夢の中だろう。
宿直(とのい)する旨の挨拶をした時の、彼女のほっとしたような顔が、頭から離(はな)れない。
(妖(あやかし)の類が出るとすれば、丑三つ時か……?)
大奥中を巡る、「火の用心」の声が遠くに聞こえた。静かな夜。音と言えば、それのみだった。