姫恋華〜ひめれんげ〜【改稿版】
(そもそも風間さん、関係ないじゃん。ああ、いや、関係ないのに、わたしの事を庇おうとしてくれたんだけどさ。それに宗明だって、何熱くなっちゃってるの?だって、あの宗明だよ?いっつも冷静で、絶対道を踏み外さない、あの宗明だよ!) 

 頭を抱えそうになるゆらを余所に、師範代が始まりの合図をした。

 それと同時に竹刀のぶつかる音が道場の中に響く。

「ほう。初めて立ち会う流派だ」

 この時代、全国には様々な流派が溢れていた。最近流行の北辰一刀流などとは違う、少し粗削りだが神道無念流の流れをくむ剣術のようだった。

 二人の背丈はほぼ同じくらい。だが体格はやや宗明の方ががっしりしているか。その分新之助は動きの素早さという点で、宗明よりも勝っているようだった。一旦竹刀を離すと、互いの間合いで踏み込む隙を窺っている。

 道場の空気がピンと張りつめた。終始和やかな雰囲気のこの道場では、ついぞない緊張感だった。最初は大きな声を出していた子供たちもいつしか無言になり、二人の息遣い以外の音が道場から消えた。

 新之助が竹刀を下げる構えを取った。宗明の眉がピクリと動く。

 終わりはまさに一瞬だった。緊張から息苦しくなって、ゆらが大きく深呼吸した時。宗明が相手の頭を狙って繰り出した竹刀を、新之助が柔らかな所作で弾き飛ばし、そのまま宗明の首元に竹刀の先を突きつけたのだ。

 一瞬の間を置いて、師範代の静かな声が掛けられた。

「それまで」

 その声と同時に、宗明は深々と礼をすると無言のまま道場を出て行った。

「あ、三郎太」

「ゆらさま。今はだめよ」

 おしずに肩を掴まれ、ゆらははっとして足を止めた。侍なら、負けた姿など見せたくはないだろうという事に思い当たる。ゆらは唇を引き結んで、おしずに頷いた。

 勝負が終わると子供たちも飽きたのか、それぞれ家路に就き始めた。

「ゆら、今度は俺と勝負しろよ」
「うん。またね」

 藤吉に手を振って、さてどうしたものかと思案していると、井戸端で身を拭って来た新之助が帰り支度を整え、道場を出ようとしたところで、ゆらを見た。

「俺は余計なことをしたかも知れないけど……」
「え?」
「あなたは言いたいことを、もっと言ってもいいと思う」
「……」

 ゆらは新之助の言葉に瞠目した。

 自分としては、宗明には我儘過ぎるくらいに言いたいことを言っているつもりだ。

 それなのに初対面の新之助にそんなことを言われるなんて。

 ゆらの意を汲んだように、新之助が微笑んだ。

「我儘を言っているようで、本当に言いたいことは飲み込んでしまっているでしょ?あの人に凄く気を遣ってるって、見てたら分かるよ。俺が言うことではないと思うけど……言わなければ伝わらない事って、案外多いよ」

「……」

 新之助の言葉に、ゆらは何も言い返せないまま、彼が道場を出て行ってからも、そこに立ち尽くしていた。

 そこに、おしずが何やら包みを抱えて入って来た。

「わあ、風間さん、帰っちゃったかあ」

「おしずさん?」

「煮物、持たせてあげようと思ったのに間に合わなかったわ」 

 包みを見せながら、おしずは残念そうに溜め息を吐いた。

「だったら、わたしが持って行くよ。まだ、そんなに離れてないだろうから」

「え、でも、ゆらさま」

「平気平気。もう、この辺りなら迷わないから!」

「いえ。そういう事ではなく、清水さまに一言……」

 おしずが何か言っているが、ゆらはそれに構わず、包みを抱えて走り出した。
 
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