姫恋華〜ひめれんげ〜【改稿版】
 若い娘が全力で走る姿に、道行く人がぎょっとした様子で立ち止まっている。けれど、ゆらはそんな人々の反応など我関せずで、包みだけは落とさないようにと気を遣いながら足を動かし続けた。
 
 そして商家の角を曲がったところで、新之助の後ろ姿を見付けたのだった。
 
 彼は一膳飯屋の前で所在無げに立ち尽くしていた。
「風間さん!!」
 
 ゆらはそんな新之助の姿を認めると、往来に響く声で名を呼びながら、彼の背中に体当たりした。

「うわっ」

 新之助は前に倒れ込みそうになったが、持ち前の身体能力で何とか踏み止まった。

「何だ!?」

 振り返れば、額を擦るゆらがいた。新之助の筋肉質な背中に勢いよく額をぶつけたらしい。

「どうしたの!?」

 何故この子がここにいるのか。

「おしずさんが、これを風間さんにって」
「え?」

 受け取った包みは温かかった。

「ああ。帰りに煮物をって言われていたの、忘れてた。わざわざ有難う」

「へへへ。間に合って良かったです」

 まだ涼しい季節とは言っても、全力で走れば汗も掻く。ゆらは袖口でぐいっと額を拭った。

「もしかして、一人?」

 先程の侍がいないと見渡せば、ゆらは満面の笑顔で頷いた。

「急がないと風間さん見失っちゃうでしょ。置いて来ちゃった」

「そ、そうなんだ」

 ただでさえあの侍には快く思われていないのにと思ったが、頻繁に顔を合わせるのでもないのだから、別にどうと言うことはない。万が一、また手合せすることになるなら、いつでも受けるつもりだった。

「風間さんのおうちって、こっちの方なんですか?」

「ん?ああ、すぐそこの長屋だよ」

「へえ」

 言って、往来の先を見るゆらに、

「案内は出来ないな。悪いけど」

と、申し訳なさそうに返した。

「え?わたしは別に案内なんて……」

 ごまかしてはいるけれど、新之助の住む長屋に行きたいと思っているのがありありと分かり、とても残念そうな表情になっている。しかし新之助はそれが分かっていながら、「じゃあ、本当にありがとう。またね」と言って、あっさり帰ろうとした。

「ちょ~っと待ってください」

 そんな新之助の袖を掴み新之助の前に回り込んだゆらは、大きな丸い目をきらきら輝かせていた。

「な、なに?」

「お団子食べてください。風間さん」

「お団子?」

 きょとんとする新之助に、ゆらは懐に隠し持っていた団子の包みを差し出した。てへっと笑ったゆらに、新之助は愛想笑いを浮かべ、胸元に押し付けられた団子を受け取るしかなかった。

「あ、ありがとう」

 新之助の表情が引きつっているのに、ゆらは気付いているのかいないのか。

「風間さんはお団子好きですか?」

「ああ、まあ、好き……だよ」

「良かった!わたしもだ~い好きなんです」

「そ、そう……。だよね。女の子は甘味が好き……。じゃあ……お礼に道場まで送るよ」

 彼女は何故こんなに懐っこいのか。戸惑いつつも先に立って歩き出した。

「大丈夫」

「え?」

「一人で帰れます」

 新之助が振り返れば、彼を制するように、ゆらは片方の掌を開いて前に突き出していた。

「いや。そういう訳にもいかないでしょ?女の子を一人で帰す訳にはいかないよ」

「いえ。本当に大丈夫なんで」

 ぐいぐい来るかと思えば、この引き際は何なんだ?

「それじゃ、風間さん、また明日」

「あ、ちょっと待っ……」

 止める間もなく、持ち前の俊足を生かして走り去る、ゆら。

 角を曲がった先で、何かを倒したような大きな音がしたけれど。彼女の謝る声がしばらくしていたけれど。

 静かになった往来に残された新之助は、ふっと小さな笑みを浮かべた。

「元気な子……」

 そうして、まだ温かい包みを抱え直した。

 その上には、ゆらに貰った団子の包み。

「団子が先か。煮物が先か」

(今夜の夕餉は随分贅沢だな)と思いながら、踵を返した新之助だった。


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