姫恋華〜ひめれんげ〜【改稿版】
 前の晩、宵の口から降り始めた雨は次の日の早朝にはやみ、ゆらは一人着替えを済ませ部屋を抜け出した。

 庭の苔には水滴が残り、昇ったばかりの朝日を受けて小さく輝いている。濡れた飛び石を一つ飛ばしで跨いで行くと、塀の破れ目から城外へ出た……。

 宗明は起き抜けに、ゆらが黙っていなくなったと報告を受けた。

 焦燥も顕わに城に上がれば、朝餉も食べずに姿をくらましたという。

「申し訳ありません……」

 よよと泣き崩れるあやめを「あなたのせいではありませんよ」と慰めると、ゆらの部屋から庭に下りた宗明は(また柳生道場だろう)と当たりを付け門へと向かった。

「三郎太」

 庭で一番背の高い樫の木の下を通った時のこと。

 可愛らしい声で呼ぶ声が頭上から聞こえた。

 この城で、宗明を幼名で呼ぶ者は唯一人。
 彼の姫さまだけだ。

「何、してるんです。そんなとこで」

 力なく問うお目付け役に答えようとして、ゆらは頬張っていた団子をそのまま飲み込み喉にひっかけた。

 枝の上で悶えるゆらに長い溜め息をついた。

「道場に行かれたのではなかったんですね」

 悶えながらも、こくこく頷くゆら。

「お珍しいことで」

 団子を喉に詰まらせたことに一切同情を寄せない宗明。

 ようやく団子を飲み込んだゆらは、ぜえぜえ息を吐きながら「さ、三郎太も一本どう?」と愛想笑いを浮かべている。

「いい加減、団子から離れましょうか」

「や、やだなあ、三郎太。何か怒ってる?」

「私が怒ると言えば、一つしかないでしょう?」

 顔は笑っている。けれど目は笑っていない。
 端正な顔だけに、こういう表情をした時の宗明は迫力があった。

「ああ。ええっと、そうだよね。でも今日は朝のうちに帰って来たんだもん。褒めてくれてもいいと思うの」

「ほう。夜も明け切らぬうちから城を抜け出し、奥に心配をかけた挙句、そのような危ない場所で団子を食べて喉に詰まらせる。ふむ。どう考えても褒める要素などないように思われるが、姫さまがどうしても褒めろと仰るなら、この宗明、いくらでも褒めて差し上げますが?」

 ゆらに向ける切れ長の目がさらに細められた。

「ははは……。いや、無理に褒めてくれなくっても、ってか、むしろ怒ってくれた方が逆に助かる、かなあ」

 内心冷や汗たらたらのゆらだった。

 (とりあえず、ここは下りた方が良さそうだ)と、ゆらは身軽く枝から飛び下りた。

「姫さま!?」

 宗明は慌てたが、ゆらは難なく地面に着地した。

 本当に姫にしておくには惜しい身体能力。

(朝から疲労を感じるが、もう少しの辛抱だ)
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