姫恋華〜ひめれんげ〜【改稿版】
月明かりが照らす室内は何もなかったように静かだった。
ガタガタと小刻みに震えるゆらの前に宗明が膝をついた。
「大丈夫か?」
色白のゆらの顔がいつもよりも青白く見えるのは、月光のせいばかりではないだろう。
宗明は震えるゆらに伸ばし掛けて引っ込めた手を、彼女が固く握っている懐剣に移して、それを取り上げると鞘に納めた。
「もう、大丈夫だ」
努めて優しい声音で言えば、こくりと頷く。
その仕草に自然に笑みが零れたが、次に告げられた言葉に宗明は目を細めた。
「さっきのヤツ、“見つけた”って言ったの……」
「見つけた?何を?」
いや、そもそも幽霊が喋るだろうか。
「わたしを見ながら“見つけた”って」
「ゆらさまを?」
どういう意味だ?
眉を潜めた宗明の前で、ゆらは震えていた。
「とにかく、今夜はお休みください。私はあちらに控えております」
そう促した宗明の袂を、ゆらは掴んだ。
「ゆらさま?」
「怖いよ。寝られない!」
大きな目に涙が浮かんでいる。
その潤んだ瞳に見つめられ、宗明は思わず、本当に思わず、ゆらの体に腕を回していた。
「大丈夫。私が側にいます。あなたの事は必ず守るから」
己の胸の中で、小さな体が震えている。
そう思うと、宗明はまた抱く腕に力を込めた。
そして、宥めるように背中を擦ってやると、次第に落ち着いて行くのが分かった。
怖がりで、頼りない、愛しい少女。
「当分、私が宿直(とのい)致しましょう。ですから、ゆらさまは安心してお休みを……」
形の良い耳に囁くと、ゆらの力がふっと抜けた。宗明の胸に凭れ掛かる重さが変わった。
緊張の糸が解け、眠りに落ちたようだ。
宗明はほっと息を吐いて、ゆらの体を褥に横たえた。
乱れた髪を整えてやる。
艶やかな黒髪。
長い睫毛が、閉じた瞼を縁取る。
そして紅を差したような唇は少し開いていた。
眠っている時は起きている時とはまた別の魅力。
そこには年相応の妖艶さも垣間見え、宗明はその場から動けない。
(無防備だな……)
その時月が雲に隠れたのか、室内が真っ暗になった。
宗明はそれに誘われるように眠る姫に顔を寄せた。
「清水さま?」
己の唇が触れる寸前、破れた御簾の向こうから声が掛けられた。
ゆっくりと顔を上げれば、目覚めたばかりのあやめが手燭の明かりをこちらに向け立っていた。
「姫さまは……?」
「大事ない。お休みになった」
ほっとするあやめは、しかし微妙な表情。
その表情を見れば、自分の行動を見られたのだと分かる。
宗明はさっと立ち上がると、口元を手の甲で押さえながら「私は外にいるから」と足早に縁に出た。
顔が熱い。日の下で見れば恐らく真っ赤になっているだろうが、幸い今は深夜。誰も彼の顔の色など気付かないだろう。
(だが、不覚だった)
姫に近侍するあやめに見られたとは。
最近自分の気持ちを抑えられない事があることは、己が一番よく分かっていた。
(身を弁えねば……)
自分は臣下なのだと。
本当なら姫の側にいることも許されない身なのだと。
今の状況こそ、己の最上の幸せなのだと。
そう自分に言い聞かせ、宗明は再び夜の闇に潜む気配に意識を向けた。
ガタガタと小刻みに震えるゆらの前に宗明が膝をついた。
「大丈夫か?」
色白のゆらの顔がいつもよりも青白く見えるのは、月光のせいばかりではないだろう。
宗明は震えるゆらに伸ばし掛けて引っ込めた手を、彼女が固く握っている懐剣に移して、それを取り上げると鞘に納めた。
「もう、大丈夫だ」
努めて優しい声音で言えば、こくりと頷く。
その仕草に自然に笑みが零れたが、次に告げられた言葉に宗明は目を細めた。
「さっきのヤツ、“見つけた”って言ったの……」
「見つけた?何を?」
いや、そもそも幽霊が喋るだろうか。
「わたしを見ながら“見つけた”って」
「ゆらさまを?」
どういう意味だ?
眉を潜めた宗明の前で、ゆらは震えていた。
「とにかく、今夜はお休みください。私はあちらに控えております」
そう促した宗明の袂を、ゆらは掴んだ。
「ゆらさま?」
「怖いよ。寝られない!」
大きな目に涙が浮かんでいる。
その潤んだ瞳に見つめられ、宗明は思わず、本当に思わず、ゆらの体に腕を回していた。
「大丈夫。私が側にいます。あなたの事は必ず守るから」
己の胸の中で、小さな体が震えている。
そう思うと、宗明はまた抱く腕に力を込めた。
そして、宥めるように背中を擦ってやると、次第に落ち着いて行くのが分かった。
怖がりで、頼りない、愛しい少女。
「当分、私が宿直(とのい)致しましょう。ですから、ゆらさまは安心してお休みを……」
形の良い耳に囁くと、ゆらの力がふっと抜けた。宗明の胸に凭れ掛かる重さが変わった。
緊張の糸が解け、眠りに落ちたようだ。
宗明はほっと息を吐いて、ゆらの体を褥に横たえた。
乱れた髪を整えてやる。
艶やかな黒髪。
長い睫毛が、閉じた瞼を縁取る。
そして紅を差したような唇は少し開いていた。
眠っている時は起きている時とはまた別の魅力。
そこには年相応の妖艶さも垣間見え、宗明はその場から動けない。
(無防備だな……)
その時月が雲に隠れたのか、室内が真っ暗になった。
宗明はそれに誘われるように眠る姫に顔を寄せた。
「清水さま?」
己の唇が触れる寸前、破れた御簾の向こうから声が掛けられた。
ゆっくりと顔を上げれば、目覚めたばかりのあやめが手燭の明かりをこちらに向け立っていた。
「姫さまは……?」
「大事ない。お休みになった」
ほっとするあやめは、しかし微妙な表情。
その表情を見れば、自分の行動を見られたのだと分かる。
宗明はさっと立ち上がると、口元を手の甲で押さえながら「私は外にいるから」と足早に縁に出た。
顔が熱い。日の下で見れば恐らく真っ赤になっているだろうが、幸い今は深夜。誰も彼の顔の色など気付かないだろう。
(だが、不覚だった)
姫に近侍するあやめに見られたとは。
最近自分の気持ちを抑えられない事があることは、己が一番よく分かっていた。
(身を弁えねば……)
自分は臣下なのだと。
本当なら姫の側にいることも許されない身なのだと。
今の状況こそ、己の最上の幸せなのだと。
そう自分に言い聞かせ、宗明は再び夜の闇に潜む気配に意識を向けた。