姫恋華〜ひめれんげ〜【改稿版】
「さる屋敷の内偵を」

「内偵?」

「左様。この度の一連の件、幸いにもまだお上には届いておらぬ。だが、お上のご不興を蒙れば、お家の一大事をも招きかねん。老中がこの事を知る前に、そなたにある事を突き止めてほしい」

「……」

「江戸留守居の佐伯永正(さえきながまさ)。かの者の動きが怪しいと、先程の影が報告して参ったのだ……」

「あの方は、『影』と申されるのですか?」

「ん?やはり、そなたは聡いのう。あの者が普通の者ではないと気付いたか」

「ええ、気配がありませんでしたし」

 剣の腕には自信のある新之助だったから、あそこまで気配を消してしまうのに、どれだけの鍛錬を要するか知っているつもりだった。

「ふむ。なるほど……。あれはな、直隆。殿よりお預かりした、お庭番じゃ」

「え?では、忍びの者ですか」

 軽く頷いて、近藤は新之助から身を離した。

「そなたには、あの者と連絡を取りながら、もっと内部に入り込んでもらいたいのだ。影ですら入れぬ、真相の只中に……」

 新之助の胸の中には、さまざまな感情が渦巻いていた。

 一度は世を捨てようと思った身の上だ。

 それを今また、目の前の男が引き摺り上げようとしている。

 何故、こうも早く居場所が知れたのか。

 佐伯という者は本当にこの件の黒幕なのか。

 もしや、あの事件にこの伯父も一枚絡んでいるのではないか。

 疑念が疑念を呼び、新之助の判断力を鈍らせる。

 新之助は母の兄であり、藩の重役に身を置く、この伯父を尊敬していた。この人のように主君に仕えたいと日々研鑽に励んでいた。

 藩内で力ある伯父が、どうして父母の殺害を止めることが出来なかったのか。

 それが、新之助の疑念の発端であろう。

「直隆よ。そなたの両親の事はまさに突然の事であり、わしも止めようがなかったのだ。すまぬ」

 分かっている。

 稲垣家の名を残し、姉の身を守ってくれただけでも、伯父には感謝しなければならないのだ。

(俺は冷静にならないとな)

 そう思い、新之助は飲めない酒を一気に飲み干すと、畳に手をついた。

「伯父上。いえ、近藤さま。この風間新之助になんなりとお申し付けください」

「ふむ。良かろう。そなたには佐伯の屋敷に用心棒として潜入してもらいたい」

「用心棒?」

「ここに来て、佐伯が用心棒を募集し始めた。腕の立つそなたには、打ってつけの役であろう?真っ向から奴の懐に入り込み、奴の真相を暴くのだ。両親の仇を取る為に」

「は……」

 平伏しながら、新之助は思う。

(恐らく、近藤さまはもっと多くの事をご存じだ)

 けれど、それをここで問い質しても答えは帰って来ないだろう。

(俺が突き止めればいいだけの事だ)

 新之助の腹は決まった。

 両親の無念を晴らすために。

 姉が心置きなく殿の子を育てられるように。



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