姫恋華〜ひめれんげ〜【改稿版】
 深川の辺りを歩き回っていたゆらは、広小路の人混みを遠目に見る往来で、新之助らしき後姿を見掛けた。

 道場で会った時にしか見たことはないが、一つに束ねた総髪が揺れる様も、周りの人間よりも頭一つ分は高い背も、凛とした背中も見間違える筈はなかった。

「風間さんだ」

 もう日は傾きかけていたが、ゆらは構わず追いかけた。

 新之助が路地を曲がる。

 こんな時こそ、足の速い自分を褒めてやりたかった。

 やっと狭い路地の向こうに新之助を捉えた。

「風間さん!」

 声を張り上げれば、振り返った新之助はぎょっとした顔をして身を翻した。

「え?ちょ、ちょっと待ってよ!」

 逃げるなんて。

 やっぱり風間さん、おしずさんの件に関わってるの?

 途端にゆらの小さな胸に不安が押し寄せた。

 今度は走る新之助には、なかなか追いつけない。

 それどころか、どんどん引き離されていく。

「ああ、もう!」

 もっと動け。わたしの足!

 新之助を悪人だとは思いたくなかった。

 けれど、そうでないなら逃げなくてもいいのに。

 それなのに彼は、ゆらの顔を見た途端逃げ出した。

 ゆらはきゅっと唇を引き結び、とにかく新之助に追いつこうと懸命に足を動かした。

「あっ」

 次の路地を曲がると誰もいなかった。

(見失った!?)

 この路地を抜けた先は、人通りの多い広小路。

 新之助がそこに紛れてしまったら、もう見つけられない。

 ゆらは肩で息を吐きながら諦めたように立ち止まってしまった。

 (風間さん、何で逃げるの?)と思った矢先、突然二の腕をぐいっと引っ張られた。

「きゃ?」

 小さく声を上げたゆらは、家と家の間の、人一人がやっと通れるくらいの狭間に引き寄せられた。

 壁にどんと押し当てられ、耳の両脇には細身ながら筋肉の程良くついた腕。

 はっとして顔を上げれば、そこには新之助の秀麗な顔があった。

「何の用?」

 ち、近い。

 狭い所に二人でいるのだから当然だけど。

 新之助の息がかかるくらいの近さだった。
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