姫恋華〜ひめれんげ〜【改稿版】
 路地を抜けると、夜の闇が迫る東の空に一番星が瞬いていた。

「今日はもう遅いから、帰った方がいいよ」

「一緒に探すって言ったもん」

「でも、今日はお付きの人いないでしょ?明日にしよう」

「いい。大丈夫」

「俺、またあの人と手合せするの、嫌だよ?」

「大丈夫、大丈夫」

(この子の大丈夫ほど、信用出来ないものはないな)

 苦笑を浮かべながらも、新之助は澱(おり)のようなものが溜まっていた重苦しい心が軽くなっていることに気
付いていた。

 ゆらとの他愛無い会話がそうさせたのか。

 それならば今日彼女に会えたのも、あながち面倒な事でもなかったように思えた。

 用心棒として採用が決まり、着任日だけを聞いて佐伯の屋敷を辞した時には、このまま何もかもを投げ出して出
奔してしまおうかと思うくらいに疲れていた。

(近藤にとっても、俺は捨て駒にしか過ぎないのだろう)と思考は悪い方にばかり流れ、自分はこんなにも後ろ向きだったのかと、自分で自分が嫌になっていた。

 それが、偶然彼女と出会い、彼女と会話したこの短い時間で払拭されてしまうとは。

 傍らを歩く少女に目をやれば、何が楽しいのか、にこにこと朗らかだ。

 その天真爛漫さに触れていると、自然と新之助の笑みも深まるのだった。

 広小路を抜けながら、おしずの件を整理してみることにした。

「おしずさんは、屋敷にいる時にいなくなった」

「うん」

「客人に茶を淹れようと台所に向かって……」

「うん」

「その時、物音はしなかったんだよね」

「お師匠さまは、そう仰ってた」

「でも、おしずさんは何も言わないで出かけるような人じゃない」

「そうだね」

「と、すれば、事前におしずさんの行動を把握して、機会を窺っていたってことになる」

「!」

「身内、もしくはおしずさんと親しい人物。人攫い。そうでなければ、神隠し……」

「神隠し!?」

 驚いて声を上げてしまったゆらを、通りすがりの人が振り返った。

 新之助は人差し指を立てて口に当てると、「しー」と言った。

「ご、ごめんなさい」

「いや」

「でも、神隠しって……ほんとに、そんなことがあるのかな?」

「昔からその手の類の話はよくあるけれど、大抵は、古井戸にはまったとか山に入って道に迷ったとか、不慮の事
故によって姿が見えなくなる場合がほとんどだ。けれど、道場の周辺に古井戸はないし、山深い森もない。やっぱりおしずさんは誰かに連れ去られたって考えるのが妥当だろうな」
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