晴れた空、花がほころぶように
もときた道を戻らず、少し迂回して、私達は神社に行った。
神社の脇の小屋に入ると、キーボードを出して、プラグを入れる。
ヘッドフォンも入っていたが、それは一人で練習する時使えばいいから、今は音量を小さく絞って弾くことにした。
板の間に置いてそのまま弾くのは体勢が悪いから、座布団を重ねて高さを調節して、その上にキーボードを置いた。
「はい、楽譜。初めての人には、ちょっと簡単にアレンジしてるから練習すればすぐ弾けると思う」
渡されたA4の楽譜を見て、空良は喜んだ。
「これ、高森が昔弾いたやつ?」
「うん。小学校の1,2年ぐらいかな」
「すごいな。そんなんで、もうこの曲弾けたのか」
「今私が弾いてるのよりは簡単だったから。オリジナル弾くために、私も頑張ったよ」
楽譜を見ながら、空良は質問してきた。
「なあ、この音符のとこにある番号なに?」
「ああ、指番号だよ。ト音のところが右手、ヘ音のところが左なの。どちらも親指の1番から始まって、小指が5番だから」
「指番号通り弾けばいいんだな」
「うん。指が、伸びないように気をつけて。順番通りに弾こうとして、手の型が崩れちゃうのって多いんだ。手首もあまり動かさないで。手の甲と腕の高さがだいたい同じだと綺麗だよ」
私が思っていたより、ずっと空良の手は綺麗に見えた。
大きくて、指が長い。
でも、ごつごつしていない。
「ホントだ。弾こうとすると指が伸びるんだ」
「親指以外は、指の先で押すって感じ。手の下に、肉まんが入ってるって思えばいいよ。それをつぶさないようにイメージして指先を使えばいいの」
「肉まん?」
「ピアノの先生が教えてくれたの。ホントは、卵が入ってるって教わるらしいけど、うちの先生は肉まんのほうが形がはっきりしてるからわかりやすいって」
私は両手で型を見せた。
「ホントだ。肉まんの上に手を乗せてるみたいだ」
「でしょ?」
二人で笑い合って、右手と左手とを交互に練習した。
空良は教えやすい生徒だった。
素直に私の話を聞いてくれるし、教えた通りにやってくれる。
できなくても、できるまでやろうとする。
一生懸命弾いている空良を見るのが嬉しかった。
私が大好きな音楽に、空良が近づいてくれている。
音楽を通して、私達はとても近くなっていく。
それは、私達だけの、幸せな空間だった。
あっという間に時間が過ぎて、帰る時刻だった。
テストも終わったから、あまり遅くなると怪しまれてしまう。
帰り支度をして、キーボードはバッグごと空良に渡した。
「ホントにこれ、借りていいのか?」
「うん。大丈夫だから、家でもやってみて。夜でも弾けるようにヘッドフォンも入ってるしね。次の水曜までゆっくり練習して」
「あ、週末は雨だって」
「え? そうなの?」
「雨だと、夜は危ないからここには来るなよ」
「え……?」
本当は嫌だった。
空良に会える貴重な一日をつぶしたくなかった。
でも、私のことを心配して言ってくれている空良に我が儘は言えなかった。
「……うん。わかった」
私の顔が曇ったのを見て、空良は笑った。
「水曜日まで、練習しとくよ」
「水曜日なら、雨でも来ていいよね」
「うん。明るいから」
「わかった。練習、楽しんでね」
「教わったこと、きちんとやっとく」
神社の石段を下りて大きい通りに出ると、私達は左右に分かれた。
週末、雨が降らなければいい。
そうしたら、空良に会えるのに。
でも、そう思ってから気づいた。
雨が降っても、空良はここに来るしかないのだ。
私と会わないでいる時、空良はどんな風に一人で過ごしていたのだろう。
そう思ったら、いっそう雨が降らないことを祈るしかなかった。