全然タイプじゃないし!
花村春人と加藤洋平
 「ちょっと、脱いで?」
 「今、ですか?」
 「そうそう、今」
 「はあ」


 暇な時でいいから!という義兄の笑顔に言われるまま、スポーツジムに通っている。

 「暇な時でいい」が、いつからか「週三日は」といわれるようになり、もともとそうやって指定されるとつい言われたとおりに真面目に行動してしまうタイプだったので、花村は本日も姉の旦那である義兄の加藤洋平のジムで、これまた言われたとおりにマシンをこなしていた。

 なので、言われたとおりに目の前でTシャツを脱ぐと、加藤洋平は満足げに頷く。
 素直に言われたとおりのトレーニングを積めば、こんな風に引き締まった素晴らしい体にすることが可能であるという、自らが組んだトレーニングの結果を誇らしげに眺めた。

 多くのお客さんは言われたとおりにこなすことはあんまりない。すると結果もうまく出ず、諦めて辞めてしまう人のなんと多い事か。もちろん、ダイエットもしかり。
 言ったことを確実にこなしてくれれば必ず成功という二文字を、その手に握らせてあげることはできるのだと、再び確信した。

 結果が出ないというお客さんが続くと、さすがに自分の組んだプログラムがいけないのかと、最近は少し気分が落ち込んでいたが、義弟である春人の体を見れば一目瞭然である。

 「それで、どう?最近は?」
 「最近、ですか?風邪もひかなくなったし、あんまり疲れなくなってきたかなあ」
 「そうじゃないよ」
 「そうじゃないんですか?」
 「女の子の話だよ!」
 「はあ、女の子」

 そう言って、何のことやらと首をかしげる義弟春人。
 その様子を見るだに、なんでだろうなあと加藤は思う。



 義弟に初めて会ったのは五年前だった。現在妻である旧姓花村千秋の実家へ、結婚の許しを得るべく赴いた先に、春人がいた。

 白くて細くてヘラリと笑ったその様子は、加藤の田舎のおばあさんちの、納屋に住んでる白蛇みたいだった。
 この子が千秋の話に出てくる「草食系は困ったもんだよ~」の春人か。
 「あの子ずっと彼女もいないし、ちょっと心配しちゃう」と眉を寄せた千秋の事が思い出された。

 加藤は生粋の体育会系だった。小学校の時から楽しみは給食と体育だったという典型的なタイプだ。高校だってスポーツクラスだったし、選手としては伸びなかったが学生時代はラグビーで活躍した。大学もそれに伴ってスポーツ関連に進み、今や、スポーツクラブを経営するまでになった。

 草食系か……。加藤は呟く。親の後を継いで医者になった兄もなまっちろくて細かったが、草食系ではなかった。医学部という名前に飛んでくるものを、右に左に抱えていたっけ。

 加藤の周りには草食系の男なんて存在の影すらなかったので、具体的に草食系とはどんなものなのかちっとも想像できなかった。

 しかし千秋と結婚した後、顔を合わす機会が増え、いろんな話をするごとに「これが草食系というものなのか!」と理解の限界を超えた瞬間、あたかも悟りを開いたように頭にひらめく。


 「春人はさ、彼女とかいらねえの?」

 そう、直球に聞いてみたのは、花村家の家族に含まれるようになってから、一年を経ようとしていたお正月だった。
 一通りお酒を飲んでほぐれてきたころに尋ねてみようと思ってたのだが、目の前で自分よりハイペースであおっていく春人を目にし、同じペースじゃやられると本能が危険を察知して、とにかく聞いてみることにしたのだ。
 花村家はあまりお酒を飲む家ではなく、常の夕飯でも誰も飲まないのだが、お正月ばかりはお歳暮やら何やらで集まったお酒が実家のテーブルに山と置かれた。

 こんなに飲めないだろ!と思いながらも、せっかくだからと豪快に飲みつつ、春人の様子をうかがう。
 どうせ缶ビールの一本も飲む頃、ヘロヘロになってしまうだろうから、そのちょっと前くらいのタイミングで聞いてみようと思った。さすがの体育会系で、飲み会での酔っぱらいの動向には詳しい。
 加藤はごくごく飲みながらも、春人の様子をちらちらと伺っていた。

 ところがどうしたことか。
 春人は一向につぶれる気配もなく、むしろ急にそんなに飲んだらちょっとヤバイだろ、というペースで飲んでいく。

 かつて大学の後輩がこんな無茶な飲み方をして、病院騒ぎになったのを思い出し気が気でないのだが、お義母さんも妻の千秋も全く気にしない。春人を気にするのを忘れるほど二人は飲んでいないのだが、あの様子だと大変なことになる。飲みなれない人間はこれだから!と、どうしようかとおろおろし始めたころ、お義母さんがニコニコしながら言う。

 「ごめんなさいね、洋平さん、びっくりしたでしょう。あの子、すごい飲むのよ~。でも大丈夫だから気にしないで、洋平さんもどんどん飲んでね」

 あんななまっちろいのに?と驚愕の顔で春人を見れば、いつものようににこにこしていて全然酔ってる様子もない。

 「あ、お兄さんまだ飲みます?」

 なんて聞いてくる。
 そのまま見ていると、全くペースが落ちることなくひたすらにこにこしてビールを開けている。山だったのが小山になっていく。

 いかん。自分がつぶれる上にビールもなくなってしまう。

 そこで先の疑問をぶつけてみた。
 すると、うーんとちょっと眉毛を八の字にする。

 「洋平さんみたいに、モテないし、俺」
 そう言ってはははと笑う。
 「相変わらず、草食系ね~」
 と千秋が呆れたように言う。
 「こんなんじゃ、お嫁さんなんか来てくれないわ」
 お義母さんも、困ったように笑いながら言う。

 そんな和やかな会話の中で、お義父さんも、春人と同じような顔でにこにこしている。
 確かにお義父さんと春人は、こうして笑っていると似てるんだけど……。

 加藤の頭に、どうも釈然としない何かが引っ掛かる。

 春人の柔和に細められた眼元が、ふっと素に戻るとやけに鋭かったり、こんな風にびっくりするくらい大酒飲みだったり。

 草食系を装っているんじゃないのか?と。

 それが一年目。

 二年たっても春人には一向に彼女が出来る様子は無かった。本当にモテないのだろうか。本人や周りがいう様にやっぱり草食系なのかもしれない。

 そんな流れがあって、もし暇なら体の一つも鍛えれば、女の子はやっぱり筋肉すきだし。と流れで押し切って、春人を自分のスポーツクラブに勧誘した。

 素直な春人は言われるままジムに通いマシンをこなす。

 かつてこれほど素直なお客さんがいたろうかと思うほど、春人はとてもまじめで、そして優秀だった。
 課した目標は必ず達成するし、結果もどんどん目に見えるように出てくる。いろんな人たちを指導してきたが、これほどはっきりと結果を出していく人は見たことなかった。

 まさにインストラクター冥利に尽きる。

 だからますますトレーニングには力は入るし、いよいよ加藤が目指した域まで達すると、思わず自宅に呼んで、千秋に披露したくらいである。
 こんなに男らしい体形になったし、顔だって悪くない。感じもいいし、きっといい結果をもたらしてくれる。

 そう思っていたのだが。

 かくして5年。

 「モテない?」
 「全然ですよー」
 「あのさ、合コンとか行ってるよね?」
 「ええ、まあ。洋平さんに言われたとおり、友達とか友達の友達に連絡して、ちゃんと行ってますよ、合コン」
 唸る。何でだ?何が原因なのだろうか。もしかして、連絡先交換しなかったりとか?
 「連絡先とかも交換してる?」
 「もちろん、そこも洋平さんに言われたとおりに頑張ってます」
 本当だろうか?なんだかんだ言ってごまかしてんじゃね?
 「あ、疑ってますね!ほらこれが証拠です」

 胸を張って見せられたのは、スマホのアドレス帳。

 グループ分けされている。グループって言っても、「友達」「家族」「仕事」「その他」しかないんだけど。

 「ほら、ここです」

 そうして、「その他」を開いてみれば。


 「愛、絵理、恵那、えみり、恭子、小鈴、沙織、佐奈、紗理奈、詩織、翔子、涼音、星羅、菜実、新菜、紀香、ひまり、日向、穂乃花、麻理、まゆみ……ってなんじゃこれ!!!」


 まだまだ続いていくアドレス欄に驚嘆して加藤は叫ぶ。するとなんてことないみたいに、花村は小首をかしげる。

 「ちゃんと連絡先交換してます」

 トレーニングをこなしているのと同じ口調で春人は言う。

 「ちょ!ちょちょちょ!これ!なんでこんなにいっぱいいるのに!なんでできないとか!」
 「だから~ モテないんですよ」

 春人は眉を下げるばかり。

 「お前、これさ、上から全部連絡してみ?ぜったい誰か必ず引っかかる!絶対だ!」
 「え~。でも、もう誰が誰だかわからないし~」

 あからさまにやりたくないというオーラを出しまくって春人は言う。

 「でもこれ!メールのやり取りとかしてるだろ?」
 「んー。三日くらいは続くんですけど、それからぱったりメール来なくなっちゃうんですよ」
 なんで?なんで三日で来なくなるのか……。もはや理解を超えて行く。そして「ああ、草食系」と心でつぶやいた。
 「あ!LINEだー」

 春人が急に明るい声を出して、スマホを操作する。

 「LINEやってんの?」
 「はい。会社の人と」

 会社の人!?仕事先の人間なんかとLINEなんかやって何が楽しいのだろうか。
 自分なら迷わずあのアドレス帳の女の子たちにLINEのID教えたろうなと思う。

 それがよりによって、会社の人間とは!

 「あー夏原さんだー。面白い~」

 そんなことを呟きながら、先より一層笑みを深めて、にこにこしながら画面を見ている。
 さすが、草食系。考えていることが全然わからない。
 脱力したまま、スマホの前でにこにこしている春人を、加藤は呆然と眺めた。




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