全然タイプじゃないし!
2
12月の寒空の中、飛び込み営業用に用意した資料は、そのまま花村が一緒に会社へ持って帰ってくれた。
なんだか手持無沙汰で、手の行き場が無い。
仕方がないので手袋をしている手を、コートのポケットに突っ込んだ。12月上映予定の新作映画の話なんぞしつつ。
「じゃ、俺はこれで」
会社の前に到着すると、花村はへらっと笑って私に荷物を返す。
「俺今日直帰だから」
「え?そうだったの?」
「うん」
「あー。なんか悪かったね、ごめん」
「いいよ、どうせ暇だし。じゃ、また来週」
そうしてあっさり手を振って去っていく背中。
おいおい、今の雰囲気で暇だっていうなら、飲みに行こうとか言えよ。新作映画の話してんだから、映画でも行かない?って週末の予定くらい聞けよ。
遠ざかる花村を見つめる。
もうさ、もう認めろ、私。口元に笑みが広がる。好きになっちゃんたでしょ、アレを。はいはい、降参降参。
荷物を抱えたまま私は走る。
「花村君!」
去っていく背中にそう叫ぶ。花村はいつものように締まりのない顔でくるりと振り返る。
「なに?何か忘れ物?」
「いやいや」
そうして追いついた背中に片手を置く。
「今日、暇なんでしょ?」
「う、うん……」
「じゃあ、これから飲みに行かない?」
「え、いいけど……」
「けど、何?」
「なんか、怖いんだけど、夏原さん」
おびえる固い背中を叩く。
「怖くない怖くないよ~。じゃあここで待っててよ。すぐ戻ってくるから」
そう言って背中をポンポンと叩く。
怖いのは、こ れ か ら だ ぜ。花村!
さて、私たちは今、駅近くのこじゃれた和洋創作居酒屋にいるわけですが
。
いつものペースでどんどん飲んでるだけで、めっちゃいつもの飲み会雰囲気なんですが!!
そりゃサシなんで、いつもより会話は多いし、会社の話をしたり営業の話をしたり、DVDの話をしたり海外ドラマの話をしたり。会話は多いですよ、会話はな!
「うち、ケーブルテレビ見られる物件だから、海外ドラマは結構見てるけど、NCIS:LAとかも夏原さん好きかも」
「そう?」
「本家のNCISよりもアクション色強いかなあ。本家の方はボスがもう結構いい年だし」
「んー!でも、あのボスが妙に色気があっていいんだよね~」
「夏原さん、こうやって聞くとストライクゾーン広そうだけどね」
「私もそんなに狭いと思ってないんだけど」
「でも聞いてると、外国人ばっかりだからなあ」
「別にそんなつもりないけど。外国人は目の保養にちょうどいいんだ。やっぱりおつきあいするなら日本人がいいんだよね」
「うーん、そうなってくると、やっぱり夏原さんのタイプは限られてくるかもね」
「そう。だから見つかったらば全力でぶち当たろうと思って」
「さすが、戦闘民族!あ、今も誰か狙ってるわけ?」
思わずビール噴きそうになる。
「ええ、まあ」
「そうなんだ」
「花村は?そういうの無いの?」
「うーん、そうだなあ……。あ!」
「え?」
誰かいるのか!!私はぎくりとしながらも、平静を装って花村を見る。
「マグロのスペアリブ頼むの忘れてた!頼んでいい?」
「……どうぞ」
「わーい、ここのこれすごいおいしいんだよね。忘れてた!すみませーん!」
店員に嬉しそうに料理の追加注文する横顔を眺めながら、ビールを一口飲む。
「えーっと?何の話だっけ」
そう言ってへらへら笑った。
こいつ、これは何だ!スルー能力なのか!それとも天然なのか!!
ビールジョッキの中に聞こえない愚痴をこぼす。しかしどうしたことか全くつかめないよ、これ。
角度を変えながら、槍でつついているはずなのに、スライムでできてるみたいにぐにゃりぐにゃりとかわされているような気がする!!これが狙ってやってるとしたらなんて高度なテクニックなんだ。くっそ、草食動物め!肉食のさばき方は分るんだが、草食はどう攻めればいいのだ!心の中で頭を抱えながら、それでも、私である。
戦闘民族夏原花音をなめるなよ。絶対追い込んでやる!
喉を鳴らしてビールを飲む花村を上目使いで見れば
「夏原さん、ビールお代わり?」
だから、どうして私が花村を見ると、いつもビールのお代わりになるんだ!
とまあ、すべからくこんな調子で時間が過ぎていく。重ねていくのはビールの杯ばかりなり!
あのね、花村が女子だったら、お母さんとして安心するレベルで隙が無い。
そう!隙が無いのだ。なんだろこいつ。穴だらけにしか見えないのに。そろそろビールも飲み過ぎのレベルに達してしまう。これ以上飲むと、さすがの私も頭の働きが鈍くなる。これではこの狩りは失敗してしまう!!
私の狩りは短期決戦。気持ちが待ったなしになるから仕掛けるんだからね!この手をすり抜けてしまうと思うと、ますます焦る!
それにしても、花村はザルなのか。相当飲んでるでしょ。全然酔ってる風にも見えないし、ここまで飲んだら結構な確率でお持ち帰り物件になりそうなものなのに。
おいしそうにマグロのスペアリブを食べる顔を眺める。っていうか、よく飲むけどよく食べるなあ。こんなへにょへにょしてるのに……。
あ、違うか。少なくとも体は相当がっしりだし。あ、体だけじゃなかった。顔つきも実は眼光鋭い、なんていうの猛禽類みたいだし。
じゃあどっちかというと草食系というよりは、私と同類項じゃん。
そんなことを花村を眺めながらぼんやりと思う。ああ、なんかぼーっとしてきた。ちょっと気合いを入れなおしてっと。
改めて花村をじっと見る。視線に気づいた花村が口を開く。
「あ、そろそろおお開きにする?なんか夏原さん眠そう」
「そう?」
「お水もらう?」
「うん」
そうして店員に告げてお水の入ったコップがやってくる。
それに口をつければ、冷たい水の感触が唇に気持ち良い。少しレモンの匂いがする水が喉を通っていった。
よし。もうさ、婉曲に言ってもどうにもならない。花村にはストレートを投げるしかない。
私はコップをテーブルに静かに置く。それを見た花村が帰り支度をしようとするのを目で止める。
「花村君」
「なに?あ、財布わすれてたとか?」
ちげーーーーよ!!なんでこいつはフラグを折りまくるんだよ!
「違います。あのね」
「うん」
そして私は、まるで中学生の様な何のひねりもない一言を告げる。
「あのさ、私と、付き合って?」
「うん、いいよ」
……へ?
「あの、あのさ」
「うん」
「あの、お店にとか、飲みにとかじゃなくって、男女交際としてのつきあって、だよ?」
「うん」
……うんって。花村はと言えばさっきから微塵も表情変えずに、いつものようにへらへらしている。
「あのさ」
「うん」
「私、花村君の事が好きって言ってるんだけど」
「うん、ありがとう」
がーーーーーー!!なんなの、全然つかめねえええええ!!
「俺も、夏原さんの事好きだし」
「はあ??」
「だけど、どうしたらいいのかわからなくって、どうしようかなあとずっと思ってたから、よかった、夏原さんが言ってくれて」
「はあ……」
「じゃ、行こうか。おいしかった!」
そしてにこりと笑った。
お店の外は、そばからアルコールが消えていくように寒い。だというのに、私にくすぶるアルコールはちっとも抜けていかないかのようになんだかぼんやりとしてしまう。
付き合うことになったんだよね?なんか寝ぼけていたわけではないよね?
そう問いたくなる背中は、いつもと変わらず。このままいつものように「じゃあね、夏原さん」と言っても全く不思議は無い感じで。
駅へ向かって歩き出す隣に並ぶ。それも、まるでさっきの事なんか無かったみたいに普通に話をしているわけで、少しは甘い雰囲気になったっていいんじゃないのこれ。
花村とは駅が反対方向だから、先に私の方の電車がやってくる。滑り込んできた電車に目をやる。えーっとどうする。どうするんだ。
と思っているうちに、ふわりと手を握られる。驚いて花村を見上げる。
「送っていくよ、夏原さん」
「ええ、だって反対方向だし」
「えー?彼氏ってそう言う事やるのが普通なんじゃないの?俺よくわからないけど」
まあ、そう言われれば、そうかもだけど。でもこれは!急に手をつながれるとか!
あの、この数カ月ガン見していたあのと手をつなぐと思うと妙にどきどきしてしまって、己は中学生かというツッコミを念仏のように唱えながら、全く平常運転な花村の横で不思議な気持ちで立っていた。
上からふっと小さく漏らされた息に顔を上げれば、普段の表情をほどいた花村の、鋭い目元が視界に入る。
怖えーよ!怖えーよ、花村!なんというか、本当に、つかめない……。
駅から歩いて10分ほど。うちまでの道のりは冷たい木枯らしが吹いてかなり寒いはずなのに、つながれた手が妙に暖かく、何だか暑いんだか寒いんだかよくわからないまま歩き出す。酔っているのか私は。ふわふわとした気持ちで、会話もなんだかふわふわしてしまう。
やがてアパート前に到着した。
「ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして。じゃ!」
「え、でも終電近いけど大丈夫?」
「ちょっとギリだけど大丈夫じゃん?さすがに飲んでるし走れないから、もし電車終ってたら歩いて帰るよ」
平然とそう言ってヘラリと笑う。
ちょ、この寒空の下歩いて帰るとか!そんな事聞いたら私冷たい人みたいじゃんか。
「あのさ」
「うん」
「あの、ちょっとお茶でも飲んでく?」
「でも、そしたらほんとに電車なくなっちゃうし」
「まあ無くなったらなくなったでさ……」
というわけで、お約束の朝が来た!!
朝は爽やかに挨拶の一つもしたいところだけど、ぐぎぎぎぎぎぎぎ。
膝が笑っちゃって全然力が入らないのですが!筋肉疲労であちこちだるい。
なんてことだ。所詮初心者とタカをくくっていたわけだけど、基本的体力のスペック差について全く頭から抜け落ちていた。結果、情けないことに……。
うううう、と唸りながら寝返りを打てば、気の抜けるようなへらへらした顔が目に入る。
「おはよう、夏原さん!」
「お、おはよう、花村君……」
なんだか妙に爽やかかつ元気よく、花村は朝の挨拶をする。ぐーっと伸びをした裸の腕を、カーテンの隙間から洩れる冬の穏やかな日差しが照らして目にまぶしい。いい腕だ。
「俺さ、こういうのって面倒そうだなあと思ってたけど、すごい楽しかった!」
と感想を述べるへらへらした顔をぼんやり眺める。そう、お楽しみいただけたようで、そりゃようござんした、だるい。
「そう言えば」
不意に気になっていたことを、私は花村に聞く。
「会社で、この数か月、私たち付き合ってるんじゃないかという噂があったわけだけど知ってた?」
「知ってる。色んな人にいろんなツッコミを受けたから」
「そうなんだ!どうやって返してた?否定しても否定しても全然皆、話聞いてくれなかったよね?」
「ああ」
そう言いながら頭をくしゃくしゃっとかく。
「俺、女の子と噂になるの初めてだったから楽しくなっちゃって、聞かれてもただ何となくニコニコしてかわしてただけ」
「ええ?」
「あーまだ眠いかも」
そう言って布団にもぐる花村を見ながら、そりゃ私がいくら否定したって誰も聞かなかったはずだと妙に納得した。
戦闘民族夏原花音の、最近の狩猟結果としましては、草食なんだか猛禽類なんだかよくわからない獲物を、とりあえず無事にゲットできた模様です。
なんだか手持無沙汰で、手の行き場が無い。
仕方がないので手袋をしている手を、コートのポケットに突っ込んだ。12月上映予定の新作映画の話なんぞしつつ。
「じゃ、俺はこれで」
会社の前に到着すると、花村はへらっと笑って私に荷物を返す。
「俺今日直帰だから」
「え?そうだったの?」
「うん」
「あー。なんか悪かったね、ごめん」
「いいよ、どうせ暇だし。じゃ、また来週」
そうしてあっさり手を振って去っていく背中。
おいおい、今の雰囲気で暇だっていうなら、飲みに行こうとか言えよ。新作映画の話してんだから、映画でも行かない?って週末の予定くらい聞けよ。
遠ざかる花村を見つめる。
もうさ、もう認めろ、私。口元に笑みが広がる。好きになっちゃんたでしょ、アレを。はいはい、降参降参。
荷物を抱えたまま私は走る。
「花村君!」
去っていく背中にそう叫ぶ。花村はいつものように締まりのない顔でくるりと振り返る。
「なに?何か忘れ物?」
「いやいや」
そうして追いついた背中に片手を置く。
「今日、暇なんでしょ?」
「う、うん……」
「じゃあ、これから飲みに行かない?」
「え、いいけど……」
「けど、何?」
「なんか、怖いんだけど、夏原さん」
おびえる固い背中を叩く。
「怖くない怖くないよ~。じゃあここで待っててよ。すぐ戻ってくるから」
そう言って背中をポンポンと叩く。
怖いのは、こ れ か ら だ ぜ。花村!
さて、私たちは今、駅近くのこじゃれた和洋創作居酒屋にいるわけですが
。
いつものペースでどんどん飲んでるだけで、めっちゃいつもの飲み会雰囲気なんですが!!
そりゃサシなんで、いつもより会話は多いし、会社の話をしたり営業の話をしたり、DVDの話をしたり海外ドラマの話をしたり。会話は多いですよ、会話はな!
「うち、ケーブルテレビ見られる物件だから、海外ドラマは結構見てるけど、NCIS:LAとかも夏原さん好きかも」
「そう?」
「本家のNCISよりもアクション色強いかなあ。本家の方はボスがもう結構いい年だし」
「んー!でも、あのボスが妙に色気があっていいんだよね~」
「夏原さん、こうやって聞くとストライクゾーン広そうだけどね」
「私もそんなに狭いと思ってないんだけど」
「でも聞いてると、外国人ばっかりだからなあ」
「別にそんなつもりないけど。外国人は目の保養にちょうどいいんだ。やっぱりおつきあいするなら日本人がいいんだよね」
「うーん、そうなってくると、やっぱり夏原さんのタイプは限られてくるかもね」
「そう。だから見つかったらば全力でぶち当たろうと思って」
「さすが、戦闘民族!あ、今も誰か狙ってるわけ?」
思わずビール噴きそうになる。
「ええ、まあ」
「そうなんだ」
「花村は?そういうの無いの?」
「うーん、そうだなあ……。あ!」
「え?」
誰かいるのか!!私はぎくりとしながらも、平静を装って花村を見る。
「マグロのスペアリブ頼むの忘れてた!頼んでいい?」
「……どうぞ」
「わーい、ここのこれすごいおいしいんだよね。忘れてた!すみませーん!」
店員に嬉しそうに料理の追加注文する横顔を眺めながら、ビールを一口飲む。
「えーっと?何の話だっけ」
そう言ってへらへら笑った。
こいつ、これは何だ!スルー能力なのか!それとも天然なのか!!
ビールジョッキの中に聞こえない愚痴をこぼす。しかしどうしたことか全くつかめないよ、これ。
角度を変えながら、槍でつついているはずなのに、スライムでできてるみたいにぐにゃりぐにゃりとかわされているような気がする!!これが狙ってやってるとしたらなんて高度なテクニックなんだ。くっそ、草食動物め!肉食のさばき方は分るんだが、草食はどう攻めればいいのだ!心の中で頭を抱えながら、それでも、私である。
戦闘民族夏原花音をなめるなよ。絶対追い込んでやる!
喉を鳴らしてビールを飲む花村を上目使いで見れば
「夏原さん、ビールお代わり?」
だから、どうして私が花村を見ると、いつもビールのお代わりになるんだ!
とまあ、すべからくこんな調子で時間が過ぎていく。重ねていくのはビールの杯ばかりなり!
あのね、花村が女子だったら、お母さんとして安心するレベルで隙が無い。
そう!隙が無いのだ。なんだろこいつ。穴だらけにしか見えないのに。そろそろビールも飲み過ぎのレベルに達してしまう。これ以上飲むと、さすがの私も頭の働きが鈍くなる。これではこの狩りは失敗してしまう!!
私の狩りは短期決戦。気持ちが待ったなしになるから仕掛けるんだからね!この手をすり抜けてしまうと思うと、ますます焦る!
それにしても、花村はザルなのか。相当飲んでるでしょ。全然酔ってる風にも見えないし、ここまで飲んだら結構な確率でお持ち帰り物件になりそうなものなのに。
おいしそうにマグロのスペアリブを食べる顔を眺める。っていうか、よく飲むけどよく食べるなあ。こんなへにょへにょしてるのに……。
あ、違うか。少なくとも体は相当がっしりだし。あ、体だけじゃなかった。顔つきも実は眼光鋭い、なんていうの猛禽類みたいだし。
じゃあどっちかというと草食系というよりは、私と同類項じゃん。
そんなことを花村を眺めながらぼんやりと思う。ああ、なんかぼーっとしてきた。ちょっと気合いを入れなおしてっと。
改めて花村をじっと見る。視線に気づいた花村が口を開く。
「あ、そろそろおお開きにする?なんか夏原さん眠そう」
「そう?」
「お水もらう?」
「うん」
そうして店員に告げてお水の入ったコップがやってくる。
それに口をつければ、冷たい水の感触が唇に気持ち良い。少しレモンの匂いがする水が喉を通っていった。
よし。もうさ、婉曲に言ってもどうにもならない。花村にはストレートを投げるしかない。
私はコップをテーブルに静かに置く。それを見た花村が帰り支度をしようとするのを目で止める。
「花村君」
「なに?あ、財布わすれてたとか?」
ちげーーーーよ!!なんでこいつはフラグを折りまくるんだよ!
「違います。あのね」
「うん」
そして私は、まるで中学生の様な何のひねりもない一言を告げる。
「あのさ、私と、付き合って?」
「うん、いいよ」
……へ?
「あの、あのさ」
「うん」
「あの、お店にとか、飲みにとかじゃなくって、男女交際としてのつきあって、だよ?」
「うん」
……うんって。花村はと言えばさっきから微塵も表情変えずに、いつものようにへらへらしている。
「あのさ」
「うん」
「私、花村君の事が好きって言ってるんだけど」
「うん、ありがとう」
がーーーーーー!!なんなの、全然つかめねえええええ!!
「俺も、夏原さんの事好きだし」
「はあ??」
「だけど、どうしたらいいのかわからなくって、どうしようかなあとずっと思ってたから、よかった、夏原さんが言ってくれて」
「はあ……」
「じゃ、行こうか。おいしかった!」
そしてにこりと笑った。
お店の外は、そばからアルコールが消えていくように寒い。だというのに、私にくすぶるアルコールはちっとも抜けていかないかのようになんだかぼんやりとしてしまう。
付き合うことになったんだよね?なんか寝ぼけていたわけではないよね?
そう問いたくなる背中は、いつもと変わらず。このままいつものように「じゃあね、夏原さん」と言っても全く不思議は無い感じで。
駅へ向かって歩き出す隣に並ぶ。それも、まるでさっきの事なんか無かったみたいに普通に話をしているわけで、少しは甘い雰囲気になったっていいんじゃないのこれ。
花村とは駅が反対方向だから、先に私の方の電車がやってくる。滑り込んできた電車に目をやる。えーっとどうする。どうするんだ。
と思っているうちに、ふわりと手を握られる。驚いて花村を見上げる。
「送っていくよ、夏原さん」
「ええ、だって反対方向だし」
「えー?彼氏ってそう言う事やるのが普通なんじゃないの?俺よくわからないけど」
まあ、そう言われれば、そうかもだけど。でもこれは!急に手をつながれるとか!
あの、この数カ月ガン見していたあのと手をつなぐと思うと妙にどきどきしてしまって、己は中学生かというツッコミを念仏のように唱えながら、全く平常運転な花村の横で不思議な気持ちで立っていた。
上からふっと小さく漏らされた息に顔を上げれば、普段の表情をほどいた花村の、鋭い目元が視界に入る。
怖えーよ!怖えーよ、花村!なんというか、本当に、つかめない……。
駅から歩いて10分ほど。うちまでの道のりは冷たい木枯らしが吹いてかなり寒いはずなのに、つながれた手が妙に暖かく、何だか暑いんだか寒いんだかよくわからないまま歩き出す。酔っているのか私は。ふわふわとした気持ちで、会話もなんだかふわふわしてしまう。
やがてアパート前に到着した。
「ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして。じゃ!」
「え、でも終電近いけど大丈夫?」
「ちょっとギリだけど大丈夫じゃん?さすがに飲んでるし走れないから、もし電車終ってたら歩いて帰るよ」
平然とそう言ってヘラリと笑う。
ちょ、この寒空の下歩いて帰るとか!そんな事聞いたら私冷たい人みたいじゃんか。
「あのさ」
「うん」
「あの、ちょっとお茶でも飲んでく?」
「でも、そしたらほんとに電車なくなっちゃうし」
「まあ無くなったらなくなったでさ……」
というわけで、お約束の朝が来た!!
朝は爽やかに挨拶の一つもしたいところだけど、ぐぎぎぎぎぎぎぎ。
膝が笑っちゃって全然力が入らないのですが!筋肉疲労であちこちだるい。
なんてことだ。所詮初心者とタカをくくっていたわけだけど、基本的体力のスペック差について全く頭から抜け落ちていた。結果、情けないことに……。
うううう、と唸りながら寝返りを打てば、気の抜けるようなへらへらした顔が目に入る。
「おはよう、夏原さん!」
「お、おはよう、花村君……」
なんだか妙に爽やかかつ元気よく、花村は朝の挨拶をする。ぐーっと伸びをした裸の腕を、カーテンの隙間から洩れる冬の穏やかな日差しが照らして目にまぶしい。いい腕だ。
「俺さ、こういうのって面倒そうだなあと思ってたけど、すごい楽しかった!」
と感想を述べるへらへらした顔をぼんやり眺める。そう、お楽しみいただけたようで、そりゃようござんした、だるい。
「そう言えば」
不意に気になっていたことを、私は花村に聞く。
「会社で、この数か月、私たち付き合ってるんじゃないかという噂があったわけだけど知ってた?」
「知ってる。色んな人にいろんなツッコミを受けたから」
「そうなんだ!どうやって返してた?否定しても否定しても全然皆、話聞いてくれなかったよね?」
「ああ」
そう言いながら頭をくしゃくしゃっとかく。
「俺、女の子と噂になるの初めてだったから楽しくなっちゃって、聞かれてもただ何となくニコニコしてかわしてただけ」
「ええ?」
「あーまだ眠いかも」
そう言って布団にもぐる花村を見ながら、そりゃ私がいくら否定したって誰も聞かなかったはずだと妙に納得した。
戦闘民族夏原花音の、最近の狩猟結果としましては、草食なんだか猛禽類なんだかよくわからない獲物を、とりあえず無事にゲットできた模様です。