◆ナイトメア~引っ越し~【ホラー短編】

ヒヤリ――。


建物の中に一歩足を踏み入れた瞬間、首筋を冷たい空気が撫でた。

でもそれは一瞬のことで、すぐに外と同じ蒸れた空気が体中を包み込む。


「冷房?」

足を止めて、周りを見渡す。


人の気配のない、ちょっと薄暗さを感じる古びた玄関スペースには、何処をどう見ても、冷房器具なんて文明の利器は設置されていそうもない。


「どうしたの、美鈴?」


突然足を止めたのを不思議に思ったのか、母が声をかけたきた。


やっぱり、気のせいだね。

「う、ううん、何でも……」


『何でもないよ』と言おうとした私は、目の前の光景にぎょっとした。

先頭を行く父が、荷物を抱えたまま階段を上り始めたのだ。


「ちょっ、ちょっと、お父さん、確か部屋って302号室だよね!?」

「おう、そうだ」


振り返りもせずにそう答えをよこして、そのまま階段を上る父の、だだっ広い背中を呆然と見詰めること3秒。


「だって、エレベーターは!? ま、まさか、3階まで階段使うの!?」

私は、思わず声がワントーン跳ね上がった。


「4階建ての古アパートに、そんなモノないのさ。学校だって、エレベーターなんか付いてないだろうが?」


がはははっ。


体格と同じに豪快な父の笑い声が、コンクリートの階段室に虚しく響き渡る。

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