◆ナイトメア~引っ越し~【ホラー短編】
建物北側にある廊下は直射日光は当たらないが、やはり暑い事には変わりがない。
階段室側から2部屋目の、302号と小さなプレートの貼られたグレーの扉の前。
がっちりした厳つい顔全体に、うっすらと汗を滲ませた父が、立ち止まって『ふう』と大きな溜息を付く。
「さすがに、しんどいな……」
父が本音をボソリと漏らしたのを、私は聞き逃さなかった。
「ほら、お父さんだって、エレベーターがあった方が良いでしょ?」
『してやったり』と言う表情を作り、からかいモードに入る。
これが、いつもの父娘のコミ二ケーション。
母は、『又始まった』とあきれ顔だ。
「ははは、まあな。さてと、カギは……」
父はそう言うと、荷物を持ったままズボンのポケットに手を入れた。
が、荷物のバランスを取るのに気を取られたのか、銀色のカギがポケットからスローモーションで落ちていく。
チャリン――。
人気の無い廊下に金属質の音が響き渡った。