言霊
最終話
復興が進む国道四十五号線を走りながら十兵衛は海を眺める。数年前、この場所には多くの日常がありその数だけ家族がいた。それを一瞬にして流してしまった災害の大きさを目の当たりにし己の小ささを感じる。
呪いの仏像として崇め奉られていたそれは、人間の欲を満たすための道具であり恐怖心に付け込んだ偶像だった。伝えられていた物語すら、それをもっともらしくするためのスパイスでしかなく、嘘に嘘を塗り固め作られた虚構でしかない。呪いという名の言霊により、村人達は踊らされていたのだ。
心地良く流れ込む潮風に吹かれながら十兵衛は今回の件を振り返る。隣で運転する咲耶は終始表情を変えることなく何を考えているのか理解できない。二人の距離を縮めるための旅にすると意気込んでいた想いはどこかへ吹っ飛び、衝撃的な結末を見せた村の最後の余韻が心を支配する。
咲耶の言う通り、これからあの村に継続して住む人間はいないだろう。そうなった後の村は正に呪いによって滅んだような形となる。だだし、自分の想像通り呪いもなければ幽霊も居ないのは確かで、もし幽霊がいるのなら今走っているこの場所は、震災に見舞われた魂により無念の渦が声を上げているはずだ。本当に怖いものは人間であり、心の闇を操る人の皮を被った悪魔が居るだけだ。今回の件を顧みながら十兵衛は自分なりの結論を出す。隣で黙り込む咲耶をチラッと横目で見ると相手も見返す。
「ん? 何よ?」
「いえ、さっきから先輩大人しいから、何考えてるんだろうかなと」
「そういう事、そうね。何だと思う?」
ニコリと笑い問い掛ける咲耶にドキリとする。
「やっぱ今回の事件のことですか?」
「そうね、半分正解かな」
「後の半分は?」
「東日本大震災のことよ」
「僕と一緒ですね。この風景を見ているとやっぱりそうなりますよね」
「うん、まあ……」
口ごもる咲耶を見て十兵衛は訝しがる。
「先輩?」
「実はさ、塚原に謝らないといけないことがあるんだわ」
突然の話に十兵衛は驚き聞き返す。
「謝ること?」
「うん、実はね、村に行く前から呪いの仏像が偽物だって分かってたんだ」
咲耶からなされた衝撃的な告白に言葉を失う。
「それって、呪いという存在自体を最初から否定していたからとか、そういう意味じゃなくですよね?」
「違う。呪いはあるよ。これはガチ」
反論し難いセリフに十兵衛は押し黙る。咲耶は頭を掻いてから申し訳なさそうに話を切り出す。
「情報ソースは明かせないけど、今回私があの村に行ったのは呪いの仏像の嘘を暴いて欲しいと言う依頼があってのことなの。ありもしない呪いの仏像で人心を掌握し私腹を肥やす輩を退治するって感じでね」
「聞いてるとまるで特殊捜査官みたいですね」
「ご想像にお任せするわ」
「なんで僕に黙ってたんですか?」
「先入観なく現場を見て意見対応して欲しかったからよ。最初からある程度事情を知ってたら聞き込みに違和感も出るし。それに、呪いも幽霊も怖くないって言い切る塚原の度胸を試したかったのもあるかな」
風にたなびく黒髪を見つめながら十兵衛は気になるもう一つの点を問う。
「呪いがあるって本当ですか?」
「本当よ」
「どうやって真偽を確かめたんです?」
「真偽は目の前の光景、かな」
「えっ?」
目の前に広がるのは津波によって更地となった光景であり十兵衛は首を捻る。咲耶はその様子を見てからおもむろに口を開く。
「村にあった呪いの仏像は偽物だった。私は情報提供者から予めそれを知らされていた。つまり、情報提供者は本物の呪いの仏像の行方を知ってたってこと。本物の仏像は素人で手に負える代物ではない。修行を積んだ高僧数人でも手に余るそうよ。そもそも神主も居ないような小さな村の神社でどうこうできるものじゃないのよ」
「じゃあ今はどこに?」
「ん……」
咲耶は回答の代わりに太平洋を指差す。十兵衛は咲耶の言わんとすることが分からず横顔をじっと見る。
「本物の仏像は、天災すら招いたらしい。豪雨、落雷、雹、そして、地震……」
地震と聞いた瞬間、十兵衛の顔は青くなる。理解したことを悟ると咲耶は続ける。
「あくまでそう言われてるってだけよ? ただ、震災と同時期に件の仏像が海に投棄されたのは事実。投棄した本人が情報提供者だからね。結局、本物の仏像は誰にも手に負えなかったってことかもね」
「今でも眠っているんですよね? この海に」
「おそらくね。でも時期から考えて既に朽ちて霧散してるかも。母なる海はなんでも無に返してくれるから。それこそ呪いさえも……」
穏やかな表情でそう語る咲耶を見て少しだけ溜飲が下がる。今もなお海の底から恨み続けているとは考えたくもない。
「や、やっぱ偶然ですよ、そんなの。人間の作った呪物で震災が起こるなんて自然界のパワーバランスから考えても有り得ない」
「そうね、証拠もないしね」
「そうですよ。この世には呪いもないし幽霊もいません」
そう言い切った瞬間、バンバンバンバンバンッ!という大きな衝撃音と共に、背後のリアウインドウで何かが落ちたような音がする。
「うおおっ! な、なんだ!?」
ビクッとなりつつ振り向くも、そこには何もない。咲耶の方を見るとさっきの穏やかな表情から一変、険しく真剣な表情をしている。そして、両ドアのウインドウをゆっくりと閉めると咲耶は呟くような声でいう。
「こっちに来るなこっちに来るなこっちに来るなこっちに来るなこっちに来るなこっちに来るな……」
「せ、先輩?」
お経の如く連呼されるその低い言霊に息を呑む十兵衛だったが、
「な~んてね、冗談。ちょっと驚かせてみた」
そう言って笑う咲耶を見て大きな溜め息を吐く。しかし、三陸海岸を運転中ずっと真剣な表情を崩さなかった咲耶の横顔に冗談とは取れない凄みを感じる。そして、大学に到着した後に見たリアウインドウ一面に着く無数の手の跡により、自身の価値観を大きく変えざるを得ないのだろうと理解していた。
(了)