bitter sweets
01. 誰にでも甘い声 : 夏妃
「夏妃~頼む!今日も泊めて!!」
電話の向こうから甘い声でお願いされれば、断ることは難しい。
こうしてあの男のお願いを聞き続けてもう何年かと指を折って、バカバカしい気持ちになった。
ちゃらちゃらちゃらちゃら遊んでばかりのあの男を、ちゃんとつなぎとめる事が出来る誰かが早く現れればいいのにと思いながらも、決定的なその時が来ることを内心おびえてみたり、そこまで考えて思考を止めた。
もうすぐやってくるあの男に、こんなさまよう心を見せたくないんだ。
一番そばで、一番遠くにある気持ちを思ってベランダに白い息を吐く。
「おー!夏妃―!ビール買ってきた!玄関あーけーてー」
足元から声がしてベランダの下を覗き込むと、蛍光灯の下に見飽きた顔が姿を現した。
「そろそろ家に帰んなさいよね」
コンビニのチキンナゲットをつまみにビールを開けながら、私はいつものように説教を垂れる。
「だってさー。妹に避けられてるとかほんと胸が痛むうううう」
大げさにふさぎ込んでこたつのテーブルに顔を埋めて、腕の隙間から私を見上げた。犬か。
いや猫か、やっぱり。
犬みたいになつきながら、猫のように気まま。おかげでこちらは振り回されてばっかり。
話を聞いてほしそうなそぶりに、無視してもいいんだけど思うようにならないとしつこいから、ふられた話はとりあえず拾う。
「妹さんだって年頃でしょ。お兄ちゃんを避けたくなるんじゃないの、それくらいの頃って」
「うううう。はあああああ」
「うっとおしいなあ。もう叩きだすよ」
「えー。夏妃は俺に優しくしてよ~ もう最近優しさに飢えてるんだから俺は」
「優しさは売り切れました。さってと、年末忙しいんだから私は先に寝るから。そこに寝袋だしといたから適当に寝て」
「あーい」
引き戸を閉めても1LDK。すぐそこに永遠に手の届かない男がいるというのはどうしたものか。
布団に身を沈めて、存在を意識の彼方に放り投げる。突然音のない世界にスマホの着信音が鳴り響き、戸の向こうから慌てふためく気配がする。
メールかな。
沈黙から何かを探し出してはいけない。
私は眠ろうとする。
メール相手の家に行きゃいいのに。