恋通勤
第10話
保育園の前に到着し祥子を下ろすと約束通り青柳は去って行く。有言実行で引きずらない様に祥子はちょっと心が揺れる。青柳への想いを振り切るかのように一般用玄関から急いで教務員室に向かうと、職員に身分証を提示して説明を受ける。朝から熱っぽい感じだったが、昼過ぎに倒れ今は薬を飲んで落ち着いているらしい。
促され園内の小部屋に向かうと、桃花がスヤスヤと寝息を立てている。付き添っていた看護婦は祥子を見ると、症状や投薬の説明をし部屋を後にする。園の隣に直ぐ小児科があり、その点がこの園の強みでもある。可愛い寝顔を見ていると、否が応でも母性本能がくすぐられる。
(焦って急いで駆け付けて、桃花ちゃんの寝顔見てホッとするなんて、私ヤバイな……)
ベッドの横で数時間以上寝顔を見つめていても、祥子の心は全く変わることなく愛しい気持ちが沸いて来る。夕方六時を回る頃、息を切らせた鉄平が部屋に現れる。メールで無事を伝えてはいたが、相当心配していたのか顔にはいつもの余裕がない。
「ごめん、迷惑かけた。桃花は大丈夫?」
「ずっとぐっすり。熱も下がってるし、大丈夫よ」
「そっか。ありがとう、今度埋め合わせするよ」
鉄平は起こさないよう桃花を背中に背負うと部屋を後にする。その後ろ姿から少し寂しい気持ちになり、祥子は鉄平を追い掛ける。園を出ると鉄平は駅の方に歩いており駆け寄ると直ぐに声をかけた。
「ねぇ、車で来なかったの?」
「ああ、ここの保育園経由の通勤だと、車より電車の方が早くて自宅からだと便利なんだよ」
「そうなんだ。あっ、カバン持つよ」
後ろ手に持っていた鉄平と桃花のカバンを取り上げると、駅までの道のりを並んで歩く。すっかり陽は落ち、街灯の明かりがアスファルトを頼りなさげに照らす。特にこれと言った話題もなく、祥子は黙ってついて行く。鉄平も黙って歩き続け何を考えているのかは想像できない。
(最近コイツと関わるようになったけど、イマイチ真意が掴めない。子供かと思ったら大人のようだし、頼りないと思ったら凄く器用で優しいし。本心は一体どんなヤツなんだろ……)
じっと歩く横顔を見つめていると、鉄平が口を開く。
「意外、って顔で俺を見てるね」
「えっ?」
「なんでコイツ、他人の子供を引き受けたんだろう? みたいな」
「ごめん。早くモンブラン渡せよって思ってた」
「あら? そうなの? ちぇっ」
苦笑する鉄平を見て祥子は笑顔になる。
「で、なんで引き受けたの?」
「結局聞くんじゃねえか。ああ、そうだな。前ちょっと話したけど、俺と兄貴は親の愛みたいなものとは無縁で育った。だから、桃花には同じような想いをしてほしくなかった。と言えばカッコイイか?」
「うん、カッコイイね」
祥子は素直に答える。
「俺、冗談で言ったんだけど」
「でもその動機は嘘じゃないでしょ? 桃花ちゃんへの接し方見てたら嫌でも分かるよ」
「うん、まあな……」
再び長い沈黙があり、おもむろに鉄平は口を開く。
「桃花は、父親が死んで母親に捨てられたことを理解してる。だからかな、俺に捨てられることを極端に恐れ、俺に嫌われまいと気を遣っているフシがあるんだ。こんな小さな子供に気を遣わせるように育て振る舞った母親が許せない反面、俺の力だけで桃花を本当に幸せに出来るのかどうか不安な毎日だ」
普段見せない真面目で真摯な横顔に祥子はドキっとする。
「親の愛を知らずに育った俺なんかに育てられた桃花が真っ直ぐ育ってくれるのか、本当の親じゃない俺なんかにどこまでできるのか、ってな。兄貴が死んで半年ちょっとで、俺自身まだ整理できてない部分があるっていうのに、桃花は俺の前でいつも笑顔を見せてくれる。支えられているのは本当は俺の方なのかもなって、ときどき思うよ」
鉄平の深く熱い想いに触れ、祥子の目からは涙が溢れている。
「ん? なんでオマエが泣くんだよ」
「泣いてないし。こっち見んなボケ」
「ハイハイ」
(こんな優しくていいヤツに育てられて、真っ直ぐに育たないわけがない。本当、バカだなコイツ……)
涙を拭きながら桃花を見るといつの間に起きていたのか、祥子を見て微笑んでいる。
「ねぇ、鉄平。桃花ちゃんのこと好き?」
祥子は桃花が起きていることを告げずわざと聞く。
「当たりまえだろ。世界で一番大事な女」
「だってさ。桃花ちゃん」
「私もパパ世界一好き!」
首を絞めるように抱き着き鉄平は苦しがっている。
(なんだろうこの気持ち。ずっとこんな時間が続いて欲しいって思う。私、鉄平のこと……)
ずっと感じていた想いに気付き祥子の胸の鼓動は早くなっていた。