恋通勤
第3話

 翌朝、いつもより緊張した面持ちで車のエンジンをかける。冬と違い温かいこの残暑の時季だとエンジンの掛かりも早い。
(昨日こっちを見たのは私の勘違いかもしれないし、見てたとしても私ではなく後ろの建物かもしれない。でも、もし今日も会えて視線が合ったら……)
 毎朝見掛ける名前も知らない相手を想い、祥子の体温は上昇する。こんなに遠回りで想いばかりが募り、上手くいかない恋愛は中学生以来になり自身でも戸惑う。
(全然知らない相手なのに、ただ一目見たいがために毎日ワクワクしている私ってお子様過ぎて笑えるわ……)
 苦笑しながらいつもの時間にいつもの交差点付近に入る。しばらくすると、お目当てのラパンが対向車線を走ってくるのが見える。
(最近ホント毎日会うな。というか今日金曜だ。次に会えるのは来週の月曜日か……)
 二日間会えないと分かると、祥子はいつもより割り増しで視線を強く送る。視線に入って擦れ違い終わるまでの数秒、相手の男性もじっとこちらを見て過ぎ去って行く。
(間違いない! 私の視線に気付いてくれてる。ちょっと嬉しいかも……)
 相手も自分のことを見てくれていると分かりドキドキしてくる。その反面、毎日じっと見られて実は気持ち悪いと思われていたらどうしようという思いもあったりする。
(我ながら少しストーカーっぽいし。いやいや、毎日の通勤時にたまたま目が合ってるだけで追跡してる訳じゃないし。でも、帰りの時間も一時間遅らせて合わせようとしてるし、やっぱりストーカーかな? どうしよう、相手の視線を意識し始めると、挙動不審な感じになりかねない……)
 たった二回、目が合っただけで祥子の頭の中は混乱気味になっていた――――


――昼、同僚の彩とベンチに並んで座りサンドイッチを食べる。今朝の視線を前向きに捉えるか後ろ向きに捉えるかで、今後の対応も変わってくる。サンドイッチを持ったまま微動だにしない祥子を見て彩も流石に気がつく。
「ちょっと祥子。何に悩んでるの? 顔に絶賛お悩み中って書いてあるんだけど?」
「あっ、うん。ちょっとね」
「男関係?」
「まあ」
「おお、いいね~、話してみ」
「聞いた後、笑わない?」
「笑わない笑わない。で、どんな感じよ?」
 祥子は半年前に話した子犬の話から始め、ここ数週間の擦れ違い通勤の話をし、今日は目が合ってドキドキしていることを話す。
「その話、マジ?」
「マジ」
「ごめん、祥子。約束破る……」
 そういうと彩は手に持っていた缶コーヒーをゆっくりベンチに置き、腹を抱えて笑い始める。
「あははは! 一瞬擦れ違うだけの相手を見たいがために通勤時間まで変えるとは! オマエは小学生か! 勘弁してよー! 笑い殺す気か!」
「絶対笑う思った。こっちはこれでも真剣なんだけど」
 批難の眼差しを向けるも彩は笑い転げている。
「いやいやいや、有り得ないから! もうね、車ぶつけて直接話す口実作った方が早いって」
「無茶言うな。私はタチの悪い当たり屋か」
「まあね~、それは冗談としてもさ、普通に尾行して職場なり家突き止めた方が早くない?」
「そんなストーカーみたいなマネできません」
「私から見たら今でも半分ストーカー入ってるけどね」
(それは私もちょっと理解してる……)
「でさ、ぶっちゃけ祥子はどうしたい訳? この通勤ランデブーを楽しみたいだけ? それともその男と付き合いたいと思ってる?」
 彩からのストレートな質問に祥子は口ごもる。
(最初はただ見れただけで嬉しかった。でも今日視線が向けられていると分かって、今までと違う感情が芽生えたのも事実だ。でも付き合いたいとかはまだ……)
「今の正直な気持ちだと、付き合いたいとかはないかな。でも、毎日目が合ったら嬉しいし、それが続いたら話してみたいとは思うかも」
「そっか、祥子の中ではまだ判断しかねている段階か。でもはっきり言うけど、毎日会いたいって想ってる時点で、アンタその男のこと好きになってるよ。これは間違いない」
 薄々感じていたこととは言え、自分の想いを言葉にされハッとする。
(確かに、好きか嫌いかって考えれば好きだし、土日会えないと知ったら寂しかった。そっか、私、あの人のこと好きになってるんだ……)
 考え込む祥子を見て、彩はため息混じりに口を開く。
「他人の恋愛行動にいちいち口出す程、野暮じゃないけどさ、好きなら勇気出して一歩前に出なきゃ。毎日数秒の出会いなら、尚更頑張ってアピールした方がいいよ。もう小学生じゃないんだし」
「そう、だね。見つめるだけじゃ分かって貰えないよね」
「祥子の視線に気付いてくれたくらいなら、少しは脈あるんじゃない? 応援してるよ!」
 笑顔で肩をポンと叩かれ、悩んでいた祥子も笑顔を見せた。

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