恋通勤
第8話
「聞いてないんですけど」
休日、鉄平から突然の緊急呼び出しを受け急いで駆けつけるも、呼ばれた場所とその光景を見て祥子の顔はひきつっている。時期が時期だけに開催する理由はもちろん理解できるが、事前告知もなくいきなり親子運動会は無い。
「つまりなんだ、オマエはこの私にいきなり母親になれと? こういうわけか?」
「悪い。事前に言ったら断られると思ったし、やっぱ親子三人で参加してるところばっかりでさ。俺も居心地悪かったんだよ」
半分笑いながら釈明する鉄平に祥子は苛々している。
「私帰る」
「ちょっと! カラティエーヌのデラックスモンブランで手を打たないか?」
予想外の引き留め台詞に祥子の足はピタリと止まる。
(コイツ、私の弱点知ってやがる……、しかもカラティエーヌのデラックスモンブランは並ばないと入手困難な極レアスイーツ。私的通勤中いつも気になってしょうがなかった店ランキング一位だ。くっ……)
踵を返し鉄平に向き直すと口を開く。
「デラックスモンブラン三つ」
「オッケー、契約成立」
「ホントに大丈夫でしょうね?」
「カラティエーヌの店長、俺の親戚だから大丈夫」
「ほぅ、これは有力情報ね。これからもいろいろお願いするかも」
「大丈夫、任せてくれ。こちらも今日みたいに言葉に甘えて頼りにすることもあるしな。ギブアンドテイクだ」
(今後のことをトータルで考えてみても、これは良い取引だ)
クリスマスのこと等を想像しながら内心ほくそ笑んでいると、鉄平の足元に桃花が現れる。
「こんにちは、桃花ちゃん」
しゃがんで挨拶すると、今回は緊張しながらも桃花は挨拶を返す。
「こ、こんにちは」
「今日の運動会、一緒に頑張ろうね」
「えっ、祥子ちゃん一緒に居てくれるの?」
「うん、居るよ。居ちゃダメかな?」
「ううん、桃すごくうれしい!」
初めてみる桃花の笑顔で、モンブラン抜きにして来て良かったと少し心が温かくなる。
保育園の運動会とは言ってもお遊戯会レベルで、祥子もホッとする。もし小学校の運動会レベルだと走れる自信はさらさら無い。安心しつつ玉入れやミニ障害物レース等をほっこりした面持ちで眺める。隣に座る鉄平も同じような気持ちなのか穏やかな表情をしている。
(会社ではおちゃらけて頼りない感じだけど、桃花ちゃんの前だと全然違うんだな……)
感心しながら見ていると競技が終わり、園長からお昼休憩が告げられる。
(しまった。お昼ご飯なんて全く考えてなかった。どうしよう)
焦った表情で鉄平を見ると、大きなバッグから弁当箱を三つ取り出している。
「はい、これ一ノ瀬のぶん」
「えっ、私に?」
「二つ作るのも三つ作るのも一緒だから。それに今日無理言って来て貰ってるから、これくらい当然だろ」
(男子の手作り弁当なんて人生初めての経験だぞ。なんか普通に照れてしまう)
緊張しながらフタを開けると、想像以上にカラフルで可愛い弁当が現れ驚愕する。一通り食べてみるが味も申し分ない。もちろん桃花も喜んで食べている。
(えっ、何コイツ? シェフ? 料理の鉄人か何か? 私よか格段に料理上手じゃない!)
女性としての本能か、祥子は鉄平に嫉妬してしまう。
「あのさ、鉄平もしかして料理得意?」
「ああ、物心ついたときには包丁にぎってた。俺、両親居なかったから兄貴と二人暮らしでさ、料理とか家事は俺が担当って感じ」
(さりげにまたちょっと重い話ぶっ込んできたな。でもそれなら料理上手も頷ける。というか私じゃ全然敵わないわ)
黙り込んでいると桃花が話し掛けるてくる。
「祥子ちゃん。パパのお弁当美味しくない?」
「えっ、ううん。すっごい美味しいよ。美味しくてびっくりしちゃった」
「でしょ~、桃のパパはお料理上手なんだから。私、大きくなったらパパのお嫁さんになるんだ」
(優しくて料理上手な男なら確かにモテるわな)
黙っていると桃花が怪訝そうな顔をする。
「もしかして、祥子ちゃん。パパのお嫁さん狙ってる?」
「えっ!? そんなことないよ。鉄……、パパは桃花ちゃんのものよ」
「ホント? ふ~ん……」
(女の子はこの年でもマセてるから油断ならんな~)
「でも、祥子ちゃんがママなら私許しちゃうかも。祥子ちゃん優しいし美人だから」
(オイオイ、このオマセなおしゃべり拡声器をどうにかしろ!)
批難の眼差しで鉄平を見るも、鉄平自身居心地が悪いのか目を合わそうとしない。
(この野郎。後でしばく!)
繰り広げられる桃花のオマセトークにたじろぎながら、祥子はなんとか昼食を乗り切る。午後からも親子合同のちょっとした遊戯があったが、二時過ぎには解散となり祥子もホッと胸を撫で下ろす。ずっと側に居て話していたためか、桃花はすっかり祥子に懐いている。
「祥子ちゃん、これから桃花の家で遊ぼうよ!」
いろいろと神経を使い正直なところ、これ以上元気な桃花の相手を出来る体力は無かったりする。それを察した鉄平が助け舟を出す。
「桃花、祥子ちゃんはこれからお仕事なんだよ。無理言って困らせちゃダメだ」
「ええ~、つまんないの」
「もう帰るから、キリタニに挨拶してきな」
「は~い」
そう言うと桃花は庭の隅の方に走って行く。
「助かったわ。正直これ以上はちょっと無理」
「分かってる。ホント今日は悪かった」
申し訳なさそうに頭を下げる鉄平を見て祥子は焦る。
「頭なんか下げないで。モンブランの契約で私達の立場は対等なんだし、お弁当美味しかったし……」
照れながらそっぽ向く様子を見て、鉄平に笑顔が戻る。
「っていうかさ、キリタニって誰よ? 気になってんだけど」
「キリタニ? ああ、園で飼ってる犬の名前だよ」
「ケンタじゃなくて?」
「そう。ケンタじゃなくてキリタニ。桃花にもよく懐いてる」
(どういうネーミングセンスしてんだ園長……)
呆然としていると、再び桃花が走り寄って来て祥子に飛び付いてくる。そのまま抱っこをせがまれ、結局最寄り駅まで抱きしめたまま見送ることになる。翌日、普段使わない筋肉を使いすぎたせいか筋肉痛になったのは言うまでもない。