涼子さんの恋事情
第11話

 仕事始め早々、涼子と達也は二人で取引先に向かう。あまり乗り気でないものの先方の意向とあれば仕方がない。初詣の一件以来仕事の内容以外で話すことはなく、涼子は終始気まずさでいっぱいになる。あの日から達也は涼子との距離を微妙に取っているようでほとんど話し掛けてこない。涼子自身言い過ぎた事を理解しており、どう対応してしていいか分からないでいた。
 取引先に向うさなか、並んで地下鉄のショッピングモールを歩いていると通りすがりの男性からふいに下の名前で呼ばれる。
「涼子か?」
 声のする方向へ振り向くと、この世で一番憎い相手がそこに立っている。達也よりも一回り大きく、スポーツ選手と間違えられても不思議はない。
「久しぶりだな。相変わらず綺麗じゃねえか」
「良樹。まだ生きてたのね」
 良樹と呼ばれた男に達也は警戒している。
「部長、こちらの方は?」
「元夫、川原良樹(かわはらよしき)。十年前に別れた最低野郎」
 涼子の厳しい紹介の仕方に良樹は苦笑する。
「なかなかお前らしい紹介の仕方だな。ま、どうでもいいんだが、ちょっと話があるんだが今いいか?」
「貴方と話すことは何もない。話したいなら弁護士通してくれる?」
「ホント、ガチガチで可愛くねぇ女だな。アンタもそう思うだろ?」
 同意を振られた達也は笑顔で切り返す。
「いえ、彼女はとっても優しく素晴らしい女性だと思います。仕事は完璧ですし、家庭ではとても可愛く頼りになる母親ぶりを発揮してますからね」
 突然褒められ涼子はドキドキする。良樹も予想外の返しを受け驚いている。
「えっ、お前達もしかして付き合ってんのか?」
「付き合ってない。同僚よ」
 即答するも顔の赤い涼子を見て良樹は間柄を察する。
「まあいいんじゃねぇの? 部下でも男だし、オマエに惚れて抱いてくれるんなら誰でもいいだろ?」
「言いたいことは終わったかしら? では、さようなら」
 涼子はヘラヘラする良樹を尻目にその場を後にしようとする。
「麻衣は元気か?」
 麻衣という単語に涼子は足を止める振り向く。
「貴方に麻衣の名前を呼ぶ資格も心配する資格もない。二度と私の前に現れないで。麻衣の前にもね」
「おっかねぇな。でもまだ生きてるみたいでよかったわ」
 軽々しい言葉に涼子は我慢できず、詰め寄ると良樹の頬をビンタする。
「黙って消えて。この最低野郎」
 良樹は頬をさすりながら言われた通り黙って去って行く。周りの通行人はその様子を興味深けに見ている。
「部長、人目があります。行きましょう」
「ええ」
 達也に言われるまま地下鉄を出ると、近くの公園で休む。頭に血が上り過ぎたせいかクラクラしている。ベンチに座っていると自販機から戻った達也がスポーツドリンクを差し出す。礼を言って飲んでいると、隣に座る達也が語りかけてくる。
「部長、さっきは凄い迫力でした。仕事のときとは比較にならないくらいの怒りモードでしたね」
「引いた?」
「いえ、麻衣ちゃんをどれだけ深く愛しているのかがよく分かりました。改めてカッコイイと思いました」
 褒められて涼子はまんざらでもなく笑顔になる。仕事以外の話題で話すのは久しぶりという点も嬉しい。
(何を話すべきなんだろうか、今が仲直りのタイミングだとは思うけど)
 考えていると達也の方から話題を振ってくる。
「聞いていいものか微妙なんですけど、なんで離婚したんですか? 最低野郎と称するくらいですし、相当嫌なことがあったのかなと」
「ええ、浮気に借金、ギャンブルに育児放棄。あげくに麻衣を押し付け失踪。離婚届けは早い段階で書いて貰ってたから良かったんだけどね。当時大学出たての社会人一年生の私には、地獄のような日々だったわね」
「すいません。聞いちゃダメなことでしたね」
「いいのよ。お蔭様で誰よりも我慢強くなれたし、たいていのストレスには耐えられるようになった。なにより麻衣がいることで強くなれた。良樹と出会わなければ麻衣とも出会うこともなかった。そう考えると、彼との出会いは私に必要なものだったと断言できるし」
(少し暗い話だったかしら?)
 反応の薄い達也を訝しげに見ると、真っ直ぐ前を見つめたまま呟いている。
「僕なら涼子さんを……」
「えっ? 今、何って?」
「あっ、すいません。独り言です。そろそろクライアントとの待ち合わせ時間ですよ! 早く行きましょう」
 独り言を振り払うかのように達也は元気よくベンチを立ち上がる。
「そうね。行きましょうか」
(今、涼子って言ってくれたような……)
 先々歩く達也の背中を内心ドキドキしながら涼子は見つめていた。

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