涼子さんの恋事情
第12話
バレンタインを目前にした二月初旬。達也から私的な連絡は完全に途絶えており、職場で事務的な会話を交わすだけとなっていた。会社自体も休みがちになり、週に一回は休暇の申請を出してくる。約束をしたとは言え麻衣へのメールもほとんど無くなったようで、麻衣も寂しがっていた。
(原因は間違いなく私にある。保身のために制約を並べ立てて、白川君の想いを踏みにじるようにやり込めた。過去に戻れるならあのときの私を殴ってやりたい。良樹との口論のときが唯一仲直りするチャンスだったのかも……)
デスクの一点を無表情で見つめつつも、心の中は吹きすさぶ嵐のようになっている。そこへ真理子がやって来て小声で話し掛けてくる。
「部長、ちょっと相談に乗って貰いたいのですがお時間いいですか?」
「いいわよ。外に出る?」
「助かります」
ほぼ涼子専用となっている第三会議室に入ると、真理子の方から切り出してくる。
「失礼かもしれませんか、単刀直入に聞いても宜しいですか?」
「仕事中だからその方が良いわね。何?」
「白川さんと付き合っていますか?」
達也の名前と付き合いを聞かれドキッとする。
「付き合ってないわ。どうして?」
「白川さん、部長のこと好きなんだと思います。私、忘年会の日にフラれたんですけど、そのとき早く帰った部長を白川さんは追い掛けました。白川さんは仕事の話をしただけと言いましたけど、悲しそうな目で全てを悟りました。こんなことを言うのは筋違いとは分かってます。でも言わせて下さい。どうか白川さんと付き合って下さい!」
(はあ? 意味が分からない)
「いろいろと意味不明なんだけど、まず何故私が白川君と付き合わなきゃいけないの? 好きなら諦めず篠原が付き合うべきだわ」
涼子の正論に真理子は黙り込みうつむく。
(真理子らしくないわね。いつも冷静でこんな形外れな言動なんてしないはずなのに……。そういえば今年に入ってずっと元気がなかった。まさか白川君にフラれた以外に何かあるのかしら?)
「何かあったのね?」
涼子の問い掛けに真理子はビクッとする。
「話して」
真理子は涼子の問い掛けを無視し、黙ったまま頭を下げ会議室を後にする。その様子に涼子は言い知れぬ焦燥感にかられる
(一体何なのこの嫌な雰囲気。悪い予感しかしない……、今日の白川君は内勤だったはず)
携帯電話を取り出すと直ぐに会議室に呼び出す。仕事にもだいぶ慣れたせいか、最近ではミスもなく戦力として部署でも活躍している。会議室の扉が開くと達也が一礼して入って来る。
「急に呼び出してごめんなさい」
「いえ、どうかしましたか?」
「篠原と何があった?」
「えっ?」
「篠原の様子がおかしい。さっき貴方と私が付き合って欲しいと頭を下げてきた。あの冷静な篠原が、しかも仕事中にこんなことをするなんて考えられない。ちゃんと説明してほしい」
涼子の強い語気を受けたじろぐも、達也は考え込むそぶりを見せて口を開く。
「仕事中に話すことではないです。失礼します」
(白川君まで!?)
「待って! 上司命令よ。答えなさい」
「それは職権濫用だと思います。話すことはないです。仕事あるので」
命令に背いてまで口を閉ざされ涼子は呆然とする。達也には今まで全く反発されなかったこともあり、内心穏やかではない。
(分からない。一体何を隠してるの? それとも単純に嫌われてしまったの? 分からない、貴方の気持ちさえも……)
会議室で立ち尽くしたまま、涼子は納得がいかないものの仕方なくデスクに戻る。達也も真理子もデスクに戻っているが、目を合わそうとしない。
(なんか疎外感半端ない。精神的なプレッシャーには慣れてるけど、部下の、しかも好意を寄せられていた人から避けられるのはキツイわ……)
胸の痛みを堪えながら涼子は仕事をこなす――――
――夕方、一番先に部署を出て、駐車場で達也を待ち構える。
(こんな宙ぶらりんの気持ちのまま毎日は過ごせない。どんな結末になろうと白川君から真実を聞き出す)
運転席側で立っていると、青いリュックを背負った達也がゆっくり歩いて来る。普段は立場的、精神的にも優位に立っていた感じがあるが、今日の達也からはどこか威圧感を覚える。
「部長……、待っている気がしてました」
「白黒はっきりつけないと気に入らない性格だから」
「部長らしいです。でも、話す気はないのでお引き取り下さい」
「私、嫌われてる?」
「今でも気持ちは変わりませんよ」
「じゃあ話して。隠し事するような人とは付き合えないわよ?」
「話したら付き合ってくれるんですか?」
(そうきたか。真理子と組んでこうなる作戦だったら……、なんて、邪推すぎるか。どうしよう、知りたいけどそれはイコール白川君と付き合うことに。かと言って、こんなもやもやした気持ちのまま毎日を過ごすのは嫌だ……)
涼子は考え抜いた上で決断する。
「話して、付き合うから」
「ほ、本気ですか?」
「貴方の付けた条件でしょ? 貴方の彼女になるから話して」
「すいません。さっきのは冗談です。話す気はありません」
(なっ、なんですって! 私が清水の舞台から飛び降りる気持ちで決断したのに……)
涼子は顔色を変え語気強く切り出す。
「嘘つき! もういいわ、いい加減に愛想尽きた! 今後二度と好きとか言わないで、時間の無駄だから!」
憤慨しつつ車から離れようとすると達也が呼び止める。
「あの」
涼子は無言で見つめる。達也は笑顔でつぶやく。
「ありがとう」
感謝の中にある別れの機微に触れ、涼子の心はひんやりとする。
「さようなら」
一言だけ交わすと、涼子は達也への気持ちが冷めるのを感じながら駐車場を去って行く。達也はその姿を寂しそうな瞳で見送っていた。