涼子さんの恋事情
第16話
麻衣から語られる想いのたけを聞き終えると、良樹は涼子に頭を下げ謝罪し涼子もそれを受け入れる。そして、生みの母親には近いうちに麻衣から赴き、お見舞いを果たすことも約束する。福岡にいるはずの達也が何故東京に居るのかを聞くと、涼子からの返信メールがおかしかったことと、麻衣からの相談メールが原因と語った。
新幹線での件もあり多少気まずいものの、わざわざ新幹線を乗り換えとんぼ返りしてくれた達也にお礼をしないわけにもいかず、三人一緒にマンションへ帰宅する。福岡の実家へ釈明の電話をする達也を横目に、涼子と麻衣は並んで晩御飯の支度をする。台所に立つ麻衣は終始ニコニコしており涼子は堪らず聞く。
「ちょっと麻衣、さっきから気持ち悪いくらいニコニコしてるよ。どうしたの?」
「えっ? そんなの嬉しいからに決まってるでしょ?」
「何が嬉しいの?」
「またまた、ママったらとぼけちゃって。ふふっ」
麻衣は含み笑いをしながらサラダを作り続ける。涼子はその笑顔を訝しながら見つめていた。
パスタが茹で上がると冷めないうちに食卓に着く。達也の横に座った麻衣は相変わらずニコニコしており、流石に涼子も気持ち悪くなり咎める。
「麻衣、さっきから何ニヤニヤしてるの? 理由が分からないから気持ち悪いでしょ?」
「え~、それを私に言わせるかな? それとも私に隠して話を進めるつもりとか?」
「何のこと? 本当に意味が分からない」
「えっ? ママ、達也お兄ちゃんと結婚するんでしょ?」
麻衣のセリフに達也はサラダドレッシングを気管に詰まらせ苦しそうにしている。
「け、結婚? ママそんなこと一言も言ってないわよ」
「だって、さっきの駅前でも達也お兄ちゃん、私とママを大事な人って言ってたし、ママを名前で呼んでて、わざわざ福岡から返って来てくれたでしょ? これってそういう仲だからじゃないの?」
麻衣は不思議そうな顔をして、涼子と達也を交互に見つめる。当の本人達は気まずいのか目も合わせられない。
「達也お兄ちゃん、ママと結婚しないの?」
(今の質問が私に振られなかったのはよかったけど、達也君の回答によってはこれはこれで緊張するわ……)
緊張した面持ちで達也を見るも、達也自身も涼子以上に緊張しており表情が固くなっている。しばらくの沈黙が流れ、達也は覚悟を決める。
「麻衣ちゃんの言う通り、僕は今日、涼子さんをお嫁さんに貰う為ここに帰って来たんだよ」
(麻衣と話しながら間接的にプロポーズするとは、コイツやっぱり策士だな……)
顔を赤らめながらも涼子は冷静になろうと努める。
「やっぱりな~、ママはもちろん達也お兄ちゃんと結婚するんでしょ?」
麻衣からの無茶振りに涼子は冷静に切り返す。
「結婚はしないわよ」
「えっ!? なんで?」
涼子の回答に麻衣は驚いているが、達也は予想していたのか普通の顔をしている。
「結婚はそんな簡単な話じゃないの。お互いの家と家とが一緒になる大事な儀式。麻衣の人生にも関わってくるのよ? そんな安易に決めたりは出来ないわ」
「じゃあママは、達也お兄ちゃんのこと好きじゃないの?」
本人を目の前にして回答しづらい質問に、涼子は頬を赤らめる。
「き、嫌いじゃないわ。だから結婚の件も含め、鋭意検討中」
「それってダメってことでしょ? 検討ってダメってことと同じだって、ママいつも言ってたし」
(我ながら妙に物知りな娘に育ててしまった……)
自身の育て方を回顧しつつ達也を見る。達也は検討という意味の裏を初めて知ったようで、顔が引き攣っている。
「あっ、あの、達也君! 今回の検討は前向きな検討だから大丈夫! ホント、そんなに落ち込まないで」
「えっ、じゃあOKなんですか?」
「いや……、だから、もう少し考える時間というか、冷静になれる時間が欲しいってことなんだけど……、っていうかもう! 二人とも焦り過ぎ! 落ち着け!」
席を立ち上がりキレる涼子を見て麻衣も達也もビクッとなる。
「しばらく『結婚』という単語は禁句! パスタをさっさと食べる! 以上!」
怒った涼子は誰にも手に負えないと知っている二人は、素直に返事をして黙々とパスタに手を伸ばす。涼子はいろんな意味で顔を赤くしながら二人を見つめていた――――
――三時間後、麻衣が就寝し涼子と達也はリビングでニュースを見ながら日本酒を酌み交わす。就寝前の酒は身体によくないと知りここ最近は飲むことがなかったが、達也を隣にしてしらふで居られるほどの余裕もない。当然ながら達也の身体のことも配慮し、アルコール度は随分下げている。意識すまいとすればするほど気になってしまい、ニュースもそぞろに寝巻姿の達也をチラチラ見てしまう。
(昼間に恋人同士になって、まさかその日のうちにお泊りとか予想もしてなかった。株価の予想は簡単なのに恋のチャートは全然読めない……)
テレビ画面に映る日経平均株価を見ながら涼子は何か話題がないものか模索するも、この後の展開を想像し脈拍が早くなる。
(普通なら客間に寝てもらうのが通例だけど、恋人同士だし同じベッドで寝るのが一般的な流れ。でも恋人同士と言ってもまだ今日なったばかりだし早過ぎる。せめて一ヶ月くらい空けるのが大人としてのマナーではないか? 否、達也君とは半年以上公私を交えた仲だし、知らない間柄ではない。結婚を考えている仲だし、ウブな小娘でもあるまいし大人の女性として上手く誘うべき? 否、元上司で年上とは言え女性の私からアクションを起こすのは筋違い。でも今夜何もなかったら次いつ会えるかも分からない。それは流石に寂しい気がするし、正直なところ達也君との関係を帰結させる為にもアリか。でも達也君の体調とかも関わってくるし……)
左手を頬に沿えテレビ画面を見つめながら、涼子は答えの出ないベッドシーンを空想する。その空想を遮るように、突然テレビ画面が消える。
(あれ!?)
横を見ると達也がテレビのリモコン片手にニコッとする。
「クイズです。画面を消す前の番組内で、何の特集してましたか?」
(しまった。全然見てなかった……)
「ごめんなさい。考え事してて見てなかった」
「やっぱり。もしかして結婚のこと考えてました?」
(ベッド内での立ち回りを考えていたなんて言える訳がない……)
「えっ、ええ、そんなところね」
「そうですか。考えてもらっておいて申し訳ないんですが、夕御飯のときのことは謝らさせて下さい。麻衣ちゃんに喜んで貰えるかもって思ったら、ついあんなプロポーズを口走っちゃいました。昼間新幹線内で涼子さんから考える時間が欲しいと言われてたから、焦っても意味はないことは分かってたんですけどね」
酔っているのか照れているのか判断が付かないが、達也の顔は赤くなっている。
「手術を控えてることを抜きにしても、涼子さんとは結婚したい。けど、それが簡単じゃないことも分かってるつもりです。僕との関係だけじゃなく、麻衣ちゃんのこと、仕事のこと、涼子さんが抱えているものはたくさんある。傍に居て欲しいけど同時に涼子さんに迷惑はかけたくないから、考え抜いた涼子さんの結論を待ってます」
真剣な目で語る達也を見て、涼子はドキドキする。
(達也君、私のこと本気で考えてくれてる。これは中途半端な返事は出来ない。ちゃんと考えて結論出さないと。しかしまず当面の問題はこの後のことよね。達也君がどう思っているのか聞くのが早いんだろうけど、そんなはしたないことは言えない。けど、達也君はどちらかと言うと草食系男子だし、向こうから口説いてくるとかちょっと想像できない……)
どうすべきか思案しつつ見つめていると、達也はソファから軽く立ちあがり密着するほどの距離に座ってくる。避ける訳にもいかず、涼子は緊張しつつ原状維持を計る。照れを悟られないように目線を反らさずじっと見続けていると、ふいに両肩を掴まれ即座にキスをされる。涼子はちょっと驚くが目を閉じて、温かくも柔らかい唇を優しく受け入れる。
(ちょっと予想外なキスだけど、これくらい強引じゃなきゃ男じゃないわよね……)
少し長めのキスを堪能していると達也の方から離れる。目を開け達也を見つめていると、緊張した面持ちで話し掛けてくる。
「涼子さん。あの、明日、僕は福岡に帰ります」
「そうね」
「次、いつ会えるかも分からないです」
「そうね」
「だから、その……」
顔を赤くしながらモジモジしている姿を見て、涼子は堪らない気持ちになるも平静を装う。
(達也君、すっごく可愛い。しばらく会えないから、私を抱きたいって顔に書いてるわ)
冷静な顔をしつつ期待の眼差しで見つめ続けていると、決心したように顔を近付ける。
「だ、抱きたいです!」
「うん、いいわよ」
「えっ! ホントに!?」
「っていうか、キスしたまま押し倒せばよかったのに。これじゃムードも何もあったものじゃないわ」
「す、すいません……」
「じゃあ、最初から仕切り直し。もう一度キスからお願いね」
「はい!」
笑顔で返事をする達也を見て、今度は涼子の方から抱き着きキスを交わした。