涼子さんの恋事情
第2話
達也が部署に来て一ヶ月。最初はミスも連発し不安に感じる点もあったが、慣れた今ではそつなくこなし思ったよりも頑張っているように見受けられる。だだし、同じフロアに居るものの話す機会もほとんどなく、職務内容から指導まで部下任せになっていた。
社員食堂で昼食後のコーヒーを飲んでいるところに、一番頼りにしている部下の青木誠治(あおきせいじ)がやってくる。社内きってのイケメンと言われているが、本人は全く興味がないのか涼子と似て仕事で成果を上げることに情熱を傾けている。
「昼食時にすいません。今お時間宜しいですか?」
「もちろん、何かトラブル?」
「残念ながらご明察です」
コーヒーを置き話を聞く態勢に入る。
「端的に言いますと、黒沢商事に納入予定の品をこちらのミスで納入できなくなりました。先方は契約の打ち切りと、これに伴う損害賠償請求という旨の通知です」
「なるほど。たいしたトラブルではないわね。先方の出方も想定の範囲内だし」
「部長は相変わらず強気ですね。推定損害額五百万円くらいですけど?」
「何か問題でも?」
「いえ、特には」
誠治は苦笑しつつ返答する。
「いつも通り貴方に任せるわ。責任は私が取るから好きにすればいい」
「承知しました。上手く処理します」
「ちなみに誰のミス?」
「白川君です」
「ああ、なるほど。分かったわ。部署に戻ったら、白川に第三会議室で待つように伝えて」
部署内では涼子と第三会議室イコール、死の宣告と捉えられており誠治の顔色が変わる。
「もしかして白川君、クビですか?」
「白川次第」
無表情でコーヒーを飲む涼子に恐怖感を覚えながら誠治はそそくさと食堂を後にする。コーヒーを飲み終え第三会議室に向かうと、真っ青な顔をした達也が目に入る。相当緊張しているようだが、涼子はお構いなしに話し掛ける。
「黒沢商事の件は聞いた。何か釈明したいことはある?」
高圧的な涼子の声色に達也はビクビクしている。
「ありません。全部僕のミスです」
「潔いのはいいけど、どうやって責任取るつもり?」
涼子の問いに達也は黙り込んでしまう。その姿に涼子は溜め息をつく。
「もういいわ。部署に戻って青木の手伝いをしなさい。ただし、手伝いながら青木の処理を見て勉強すること、いいわね?」
「はい」
達也は蚊の鳴くような小さな声で返事をし会議室を後にする。その頼りなさげな背中を涼子は冷静な目で観察していた――――
――夜、黒沢商事の件も含め報告したい旨があると、誠治から飲みの誘いを受け居酒屋に向かう。入店すると個室の誠治が立って迎え入れる。
「珍しいわね。こんな形で報告だなんて。悪い話でしょ?」
コートを脱ぎながら涼子は尋ねる。
「部長はなんでもお見通しですね。実はちょっとややこしいことになりまして」
店員にビールと適当なつまみを注文すると誠治に向き合う。
「白川関連?」
「ホント、エスパーですね。ご明察です。今回の発注ミスの件ですが、どうも単純な発注ミスじゃないんですよ」
「やっぱり」
「えっ? やっぱりと言うと、何かご存知なんですか?」
運ばれて来るビールとつまみを受け取ると涼子は苦笑する。
「何も知らないわ。ただの勘よ。白川の目と雰囲気でそう思っただけ。で、詳細は?」
「先方の発注方がリストラを迫られていたそうです」
そう一言だけ告げ誠治は黙る。かみ砕いて言わずとも涼子には伝わるのだ。
「コンプライアンスに反するわね。白川への見返りは?」
「ないそうです。純粋に親切心からでしょう」
「親切心でうちが五百万円の損害賠償を受けるって、なかなか面白いケースよね」
本気でそう思っているのか珍しく笑顔を見せる。
「どうします? 通例ですとクビで決まりですが、悪質性もないのでどうかなと」
「これは白川からの自白?」
「ええ本人から言ってきました」
「バカ正直。サラリーマンには向かないわね」
「そうですね」
「明日、解雇宣告するわ」
「残念です」
伏し目がちにつぶやく誠治を見て涼子は問う。
「青木は辞めさせたくない?」
「短い期間ながらも一応部下ですから。僕自身にも責任はあるし、許されるならチャンスをあげて貰いたいです」
「青木の気持ちは分かるけど、白川はサラリーマンに向かないタイプ。早めに切ってあげるのも優しさじゃない?」
冷静に淡々とした口調で語る涼子に誠治は頷くしかない。
「解雇方針は変えない。これは上司としての判断。青木は本件の収拾だけ考える。いいわね?」
「承知しました。ところで、今日はこれから時間ありますか?」
「ごめんなさい。仕事の話が済んだのならお暇させてもらうわ。この後、予定入ってるから。何か大事な話?」
「あ、いえ。大丈夫です」
言葉を含んだような誠治の返事を聞くと帰りの挨拶を交わし、伝票を取り個室を後にする。
残された誠治は大きな溜め息をついて、もやもやを飲み込むかのようにビールのジョッキを傾けた。