涼子さんの恋事情
第4話

 達也に辞意を迫ってから一ヶ月。相変わらず普通に出社し、誠治の元でそつなく仕事をこなしている。後日、社長から直々に達也の処遇について一言あり、その意向に添う形を取った。ただし、達也本人から出される辞表については、その範囲外として受け取ることを了解とする。
(辞表の件は前進だけど、あの鈍い小生意気なボンボンにどうやって辞表を出させるかが問題ね)
 営業に出て空となっている達也のデスクを眺めつつ、いかにして合法的に辞表を提出させるかを思案する。真面目な顔で悪巧みをしていると携帯電話に着信が入る。ディスプレイを見ると麻衣の文字が出ている。椅子から立ち上がりフロアに来ると、周囲に誰もいないことを確認して電話に出る。
「どうしたの麻衣? 仕事中はメールだけって言ってるでしょ?」
「ごめんなさい、ママ。でもちょっと困ってて……」
「どうしたの?」
「引ったくりに合って、家の鍵とか財布とか全部取られちゃったの」
 引ったくりという単語を聞いた瞬間、血の気が引く。
「け、怪我はない!? 大丈夫なの? 今どこ?」
「私は大丈夫。今は近所のスーパーで休んでる」
「分かった。すぐに迎えに行くから、そこから動かないで待ってて」
「分かった」
 電話を切るとすぐ部署に戻り、真理子に早退の旨を伝え足早に会社を後にする。早く帰りたいと気ばかり焦るが電車通勤のため車がない。タクシーを拾おうとするも、こんなときこそタイミング悪く拾えない。
(もう! なんで空車のタクシーが通らないのよ!)
 手を挙げてタクシーを止めようとしていると、一台の白い軽自動車が止まる。運転席を覗くと達也が頭を下げる。
(ナイスタイミング!)
 窓をノックするとウインドウが下がる。
「白川君、今急ぎかしら?」
「いえ、今営業から帰社するところです」
「そう、じゃあちょうどいいわ。仕事の関係で急いで行かないといけないの。運転頼まれてくれるかしら?」
「もちろんです。早く乗って下さい」
 快く返事をする達也にホッとしつつ後部座席に乗り込む。
「晴見町の……、北府中駅前までお願い」
 一瞬スーパーの名前を言いそうになり焦る。麻衣のことは誰にも知られる訳にはいかない。車が発進すると、涼子はすぐ誠治に電話をする。早退して棚上げになった仕事を引き継いでもらうためだ。通話が終わると次は麻衣にメールを送る。
(後三十分もすれば到着するはず。着いたら交番に被害届けと念のためマンションの鍵の交換を依頼して……)
 到着後のシミュレーションをしていると達也が話しかけてくる。
「部長、ちょっといいですか?」
「いいわよ」
「晴見町ってどこですか?」
(しまった! 東京に来て二ヶ月のヤツに運転頼んでしまった! 私としたことが何て凡ミスを……)
 窓からの景色を見ると確かに自宅とは反対方向を走っている。
(このガキ~)
「その先右折! 早く、車線変更!」
 涼子の怒りにも満ちたナビに達也はビクッとする。
「私がナビするから、貴方はその通りに運転しなさい。いいわね」
「は、はい」
 その後もいろいろと問題はあったが、何とか目的地まで付きホッとする。
「帰り道は今来た道を戻るだけ。そのくらい出来ないとは言わさないわよ」
「だ、大丈夫です。多分……」
「そう、とにかく助かったわ。気をつけて帰るのよ」
「はい、お疲れ様でした」
 のろのろと走り去って行く姿を確認すると麻衣の待つスーパーへと足早に向かう。予定の時間を三十分もオーバーし内心イライラしている。スーパーに到着するとベンチに座る麻衣が手を振ってアピールしている。
「ごめんなさい、遅くなったわね」
「ううん、平気」
「本当に怪我はない?」
「無いよ」
「そう、よかった……」
 麻衣に近づくと正面から優しく抱きしめる。麻衣からも抱きしめられ、心の底からホッとする。
(麻衣さえ無事なら問題無しよ……)
 安心しつつ抱きしめ続けていると麻衣が話し掛けてくる。
「ねえ、ママ」
「なに?」
「後ろのお兄ちゃんは誰?」
(えっ!?)
 焦って振り向くと、そこには不思議そうな顔をした達也が立っていた。

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