涼子さんの恋事情
第8話
「部長!」
誠治の大きな声で涼子はハッとする。目の前には怪訝な顔をした誠治が心配そうに見ている。
「ご、ごめんなさい。考え事してたわ」
「珍しいですね。部長が呼ばれても気付かれないくらいの考え事なんて」
「ええ、まあ。それはいいとして何?」
誠治からの報告を聞きながらも、外周りに出て空席となった達也のデスクにばかり目がいってしまう。クリスマスイヴの告白を受けてから二日経つが、意識しているのは涼子の方ばかりで、達也の方はあの日以降接触すらしてこない。焦らし作戦かと考え余裕を持って構えてみるものの、目が合ったり声が耳に留まるだけでドキッとしてしまう。
(公私混同しているのは私の方だ。今まで全く意識もしてなかったのに、告白されただけでそういう相手として見てしまうなんて。これが白川君の言うところの恋愛というヤツか、厄介な感情ね……)
誠治の報告を話半分で聞いていると、帰社した達也が部署に入ってくる。涼子はたちまち緊張し目を逸らす。誠治は普段と違う様子の涼子を真剣な目で見つめていた――――
――夕方、いつものように駅に真っ直ぐ向い帰宅しようとしていると背後から、男の声で呼び止められる。達也かと考え緊張しながら振り向くと、そこには誠治が立っている。
「部長、すいません。ちょっとだけお時間いいですか? お話したいことがありまして」
「仕事? プライベート?」
「プライベートです」
「五分以内でお願い」
「分かりました。ちょっと場所を変えてお話したいです」
駅構内の人目の少ない通路に来ると誠治は思いきって切り出す。
「実は俺、来年結婚しようと考えてるんです」
思いがけない誠治のおめでたい話題に涼子の顔は明るくなる。
「なにか重い話かと思ったら、おめでたい話じゃない。よかったわね。彼女の一人や二人は居そうな雰囲気だったけど、とうとう年貢の納め時って感じかしら?」
からかう涼子とは対照的に誠治は真剣な表情を崩さない。
「年貢というか、けじめというか。今の相手とは結構長いんですが、それ以上にずっと好きな人がいるんです。その人を諦めて結婚すべきかどうか、ずっと悩んでるんです」
「彼女のことはどう思ってるの?」
「もちろん好きです。けど、その憧れの人も同じくらい大事で好きなんです」
「なるほど、難しいわね。でも、ずっと付き合っていた彼女を裏切るようなことをしちゃいけないと思う。相手も青木を真剣に愛しているから長く付き合っていたんだろうし」
「はい、それは重々承知しています。でも、俺の心の中に憧れの人への想いがあったまま結婚するのもどうかと思ってます」
「一理あるわね」
「告白した方がいいですか?」
「フラれたら彼女と結婚。でも仮にOKが出たらどうするの? 彼女を捨てて他の人を取るのかしら? それって彼女を保険や滑り止めに使っているみたいで私は好きになれないかな。まあ、バレなきゃ問題ない話なのかもしれないけど」
「俺、最低ですか?」
「浮気や不倫ってわけじゃないし、最低とは思わないわ。コンプライアンスにも抵触しないし」
「じゃあ、告白したいと思います」
「ええ、青木の人生だから好きにすればいいと思う」
涼子の言葉を受けて誠治は息を飲んで言葉を絞り出す。
「部長……、いえ、小早川涼子さん。貴女がずっと好きでした。お付き合いして頂けませんか?」
青木の言葉を聞いて、クリスマスイブのシーンが自然とよみがえる。
(なにコレ? イブの再現? それとも何かの夢? 意味が分からない……)
何も言えずに黙っていると、誠治は言葉を重ねてくる。
「実は白川君から告白の件を聞きました。正直言って嫉妬しましたし、白川君に取られたくないって思いました。俺と白川君、どっちが貴女にふさわしいですか?」
予想もしていなかった展開に涼子は混乱しつつも、冷静に判断を始める。
(イブの日から一体どうなってるんだ。こんな短期間で異性に連続告白されるなんて有り得ない。しかも年下の部下だなんて。どちらがふさわしいかなんて、決められるわけがない。青木は仕事ができるしイケメンだ。一方、白川は頼りないけど可愛いし優しい男。青木は頼りがいもあり悪くないけど、結婚を意識するほどの彼女持ち。白川は私の理想とはかけ離れてる。やっぱり結論は一つか……)
しばらくの沈黙を破って涼子は口を開く。
「二人とも私とは釣り合わない。諦めて」
いつもの排他的オーラを出しながら答える涼子を見て誠治は苦笑いする。
「そう言われそうな気がしてました。部長とは付き合い長いですし」
「分かってるじゃない。彼女、大切にしなさい」
「はい、すいませんでした。こんなこと突然に」
「ホントよ、ちょっとびっくりしたわ」
「でも、言って良かったです。これでしっかり前に進めそうです」
「そう、よかったわね」
「明日からはまた普通に部下として接して行きますんで、宜しくお願いします!」
「こちらこそ、頼りにしてる。じゃあ、そろそろ帰るわね」
手を挙げて改札口に向う涼子の姿を、複雑な笑顔で誠治は見送っていた。
二日後、仕事納めで明日から冬期休暇に入るということもあり、部署のみならず社内全体の空気も軽い。ただ、涼子の気持ちだけは未だ落ち着かずざわついている。約束通り、告白後の誠治は一部下として普通に接してくれているものの、達也の方は告白以降避けられているのではと思うくらい話し掛けてこない。
(イヴの日から今日まで完全スルーってどういう了見だ。昨日は昨日で急に休みを取るし。作戦か? 作戦なのか? 白川達也!)
恨めしげな目で達也を見ていると誠治が話し掛けてくる。
「部長、今日の忘年会ですが出席されますよね?」
「え、ええ、もちろん」
「よかったです。部署内全員参加ですからね」
(そうか歓迎会をスルーしたから、白川君とも初の飲み会になるのか。う~ん……)
酒には強い方だが意識し始めた達也の前で、変なテンションになったりいつもと違う自分を見せたりすることは出来ない。
誠治の予約した料亭に到着し座布団に座ると、隣には達也がしれっと座って来る。今まで全くアクションを起されなかっただけに、急な接近に緊張せざるを得ない。一年の労をねぎらい乾杯の音頭を取ると、席は一斉に沸く。テーブルに並ぶ新鮮な魚介類や揚げ物を皆笑顔でつついている。隣の達也は涼子ではなく、反対側に座る真理子と楽しそうに話す。
(他の女性と仲良くしているところを見せて、私の嫉妬心をくすぐる作戦? だとしたらお生憎様ね。私は二股男には冷めるタイプだし、作戦ミスとしか思わない)
他の部下と少し話すものの、基本一人で刺身に箸を伸ばす程度にし、早く帰宅し麻衣と団欒したくて堪らない。明日からは年末年始恒例の温泉旅行も控えており、その準備もありあまりのんびりもしていられない。そう考えながらも隣に座る達也から一言も話し掛けられないことについて居心地の悪さを感じる。
(イヴに私を振り向かせるとか言って、ここまで無視されるとは全くの予想外だ。今も含め徹底的な焦らし作戦だとしたら、たいした策士なのかも。実際、あれから私らしくないくらい意識してるし、振り向かせられてる部分はある)
横目でチラッと見ると、達也は相変わらず真理子と話し続けている。真理子も笑顔を見せており、まんざらでもない雰囲気だ。その様子を見た瞬間涼子はバッグを抱え、誠治に一声掛けてから静かに座席を抜ける。足早に料亭を後にしながら、イライラしている自分自身に戸惑う。
(なんでこんなにイライラする……、って真理子が原因か。まあ、恋愛は自由だし白川君と真理子が付き合ったとしても私がとやかく言う言われもない。でも、イライラするってことは、もう……)
達也のことを考えつつ早足で歩いていたためか、階段の段差につまづきヒールのかかとが取れる。
(やってしまった。そろそろ寿命だったとは思うけど)
階段を転げ落ちるヒールのかかとを取りに下ろうとすると、それをスーツの男性が拾う。肩で息をしており、走って来たことは容易に推測できる。階段を下りると受け取りながら涼子は口を開く。
「ありがとう、白川君」
「いえ」
「じゃあ、良いお年を」
涼子が再び歩道橋を上ろうとすると達也はそれを引き止める。
「ちょっと待って下さい」
「何か?」
「なんでこんなに早く帰るんですか? まだ忘年会始まったばかりですよ」
「明日から麻衣と温泉旅行なの。準備大変だから」
「そ、そうだったんですか。僕はてっきり……」
「てっきり何?」
「いえ、なんでもないです」
「そう、じゃあ良いお年を」
「すいません! ちょっと」
「もう、何!? 言いたいことあるなら早く言っ……」
涼子が言い終える前に達也は正面から抱きしめる。突然のことに涼子は固まってしまう。達也は少し荒い呼吸のまま口を開く。
「好きです。ずっと側にいてほしい。僕と付き合って下さい」
力強くも優しく締め付けてくる両腕に、涼子の体温は急上昇していく。そのさなか、抱きしめられる肩越に真理子の姿が遠くに見え、反射的に達也を突き飛ばす。
「やめて、こんなのただのセクハラだしコンプライアンスに反するわ。今度やったら訴えるわよ!」
「す、すいません……」
「前も言ったけど私は貴方とは付き合わない。諦めて篠原とでも付き合えばいい。貴方を追って来てるくらいだからきっと上手く行くわ。さようなら!」
歩道橋を足早に上り始めてほどなくすると、背後から真理子の声が聞こえる。涼子はそれを振り切るようにその場を去った。