あなたの手に包まれて
コンコン…「失礼します」
トレーを持って再び社長室へ入ると先ほどの猫撫で声は何処へやら、甘いマスクに細く黒いプラスチックフレームの眼鏡をかけた社長が真面目に書類に目を通し、サインを入れていた。
「社長、朝食のご用意が整いました。こちらに置いておきますね。」
「ん。ありがとう美紅ちゃん。」
「では10:30の打ち合わせに間に合うようお声掛けに参ります。」
「あ、待って!美紅ちゃんが隣に座っていてくれないとせっかくの朝食が不味くなっちゃうよぉ!」
「冷たい物は冷たいうちに、温かい物は温かいうちに召し上がって頂ければ、私が隣に居らずとも不味くはなりません。」
「いいから、いいから〜」
そう言いながらデスクに眼鏡を置いて離れ、私の手を取り応接セットに移動すると、先に座ってニッコリ笑顔で見上げてくる社長。
……はぁ。
一瞬真面目に仕事していたかと思えば、もうこの有様…
「ねぇねぇ美紅ちゃんはさ、化粧品って同じ物使い続ける清純派?それとも新しい物をチェックして浮気しちゃう派?」
「は?!基礎化粧品は高校時代から同じメーカーの無添加の物を使い続けておりますが、何か?」
なんで社長に基礎化粧品の話なんて聞かせなきゃならないのよ…
「そっか、やっぱり清純派かぁ。やっぱり美紅ちゃんは期待を裏切らない清純派だよね!」
はぁぁ?!
なんなのよ、一体!
「僕もだよ〜!美紅ちゃんと出会うまではさぁ、しっくりこなくて定まらなかったんだけど、美紅ちゃんが来てくれてからは、ホラ!ご覧の通り美紅ちゃん一筋の清純派だから!」
にこっ!
って……
はぁ…。
いつもこんな調子なんです、このお方。
暇さえあれば甘いセリフを呟き掛け、暇が無くても甘い笑顔を向けてくる。
でもね、私の前までの11人には違ったんですって。信じられないでしょう?
てっきりセクハラに耐えきれず辞めていく秘書が後を絶たなかったんだと思ったのに、社長の態度はまるで逆だったそうで。
こんな、ほぼセクハラ言動ばかりの社長のもとで初めて一年以上、勤続四年目となった私は、なんだかんだでこのセクハラ言動も社長なりのコミュニケーションの一種なのだろうと納得できているらしく、全く嫌な思いはしていない。
と言うのも、この社長様、かなり強引に事を運ぶことも少なくないのだけれど、不思議と私が嫌がることは一切言わないしさせないのだ。
「美紅ちゃーん、今日もご馳走様!いやぁ〜毎朝美紅ちゃんが用意してくれるモーニングを美紅ちゃんを隣に感じながら食べられるなんて、愛を感じちゃうよね〜!愛だよねー!」
「いえ、愛ではなく仕事です。」
「仕事だけど愛だも〜ん!」
………。
ま、言わせとこう。