あなたの手に包まれて
いつも通りに社長の手を取り車を降りるが、やっぱりいつもと雰囲気が違う。
社長は私の手を離さず歩き出したのだ。
「し…社長?」
「ん…ごめん、ちょっとだけ、このままいさせて?」
「は、はい…」
え…っと……
結果、手を繋いで真昼間の浅草を歩いているわけなのですが……
……え?
どうしちゃったの?!
しょんぼりというか、呆然というか、そんな雰囲気とは裏腹に大きくて温かい社長の手に引かれて、私はドキドキしつつもなんだか安心感というか、ずっとこうしていたいと思ってしまいそうな、そんな感じで、とにかく嫌ではなかった。
手をつないだまま特にしゃべりもせず、歩くこと5分。
荘厳と言っても過言ではない、そんな趣きある大きな日本家屋が見えてきた。
平日だというのに長蛇の列に囲まれたその建物の引き戸を私とつないでいない方の手で開ける社長。
その引き戸は浅草で有名な老舗天丼店のものだった。
『祐樹坊っちゃま!こんにちは。本日はご来店ありがとうございます。』
「急にすまなかったね。」
『いえいえ、経済新聞等で祐樹坊っちゃまのご活躍はいつも拝見しておりますよ。さぞお忙しいでしょうに、ありがとうございます。お父様の体調はその後如何でございますか?』
「あぁ、悪くないみたいですよ。近いうちに顔を出すように伝えますね。」
『いえいえ、ご無理なさらずに。でも宜しくお伝え下さいませ。さぁ、こちらへどうぞ。』
どうやら会社から電話を入れていたようで、しかも坊っちゃまと呼ばれるほど子供の頃からご贔屓にしているお店の様子で、長蛇の列を横目に私たちはすんなりと奥のお座敷へ通された。
「この、老舗中の老舗たる圧倒的な風格、これを小綺麗な商業ビルに作れるわけがないんだよなぁ。勝負にならないだろう?」
座ってお茶を一口すすると、小ぶりで落ち着いた雰囲気の純和風なお庭を眺めながら徐にそう語り出す社長。
「そうですね。その通りだと思います。味は真似できたとしても、ロケーションが変わってしまっては魅力半減ですよね。」
うんうん、とうなづいた社長の視線がようやく和かに私を捉える。
いつも通りの社長の雰囲気に安心すると、目を合わせていることが妙に恥ずかしくなり、私は思わず自分の両手の中にあるお茶に視線を落とした。
しかし無言なこの空気に耐え兼ねて視線を社長に戻すと、再び目が合ってしまい、今度は逆に反らしずらくなってしまった。
「美紅ちゃん、さっきはありがとう。」
え?さっきって??
「美紅ちゃんはいつも自然体で僕の欲しい時に僕の欲しい以上の言葉をくれるよ。僕はそんな美紅ちゃんにいつも後押しされ勇気付けられるんだ。だから、ありがと!」
社長…?
どうやら先ほどのパリのカフェの話しのことを言っているのだろう。
でも、こんなに改まって優しい表情でありがとうと言われるほどのことはしていない。
「そ、そんな、お礼を述べて頂くには値しません。社長の引き出し方がお上手なのでは?私は率直に、率直すぎるくらいにその時思ったことを遠慮も配慮も無く発言してしまっただけなので…」
やっぱり耐え兼ねて、再び手元のお茶に視線を落とすと、ふふふっと柔らかく社長が微笑んだ気配がした。